リハビリ病院の帰り、気持ちの良い五月晴れに誘われて、池波正太郎の小説に出てくる玉姫稲荷に行こうとおもい水神大橋を渡って白髭橋に向かいました。
スカイツリーがきれいに見えたので撮りました。
いつもながら地図を持たずに行くので、なかなか目的地に着きませんでした。
古地図で左上にある四角に囲まれた吉原の入り口大門まで行ってしまいました。
そこから戻って街中をうろうろしていたら大きな地蔵さんのあるお寺に出合いました。
東禅寺でした。古地図では千住大橋に向かう通りの途中に東セン寺と書いてあるところです。
地蔵さんは江戸の六地蔵の一つでした。
すでに
品川寺http://blog.goo.ne.jp/sa194520131207/e/e9c535aa1e305a03b802b7324196fb56と
太宗寺http://blog.goo.ne.jp/sa194520131207/e/32a7c4515db063a189421b72cd297b91
にも偶然行って撮りました。
こちらの坐像はあんパン考案で有名な銀座木村屋総本店創業者の夫婦(木村安兵衛、ブン)の像です。
玉姫稲荷神社
あちこち迷いながらようやく玉姫稲荷に到着しました。古地図では中ほどにイナリと書かれている場所です。
鳥居の右には神社の碑が
左側には常夜灯がありました。
★ランドマーク玉姫稲荷神社:「社伝に天平宝宇四庚(七六〇)の創建とあり、江戸時代に至りて稲荷神の流行とともに神威現われ江戸庶民の信仰を得るが、享保年間(一七一六ー三六)に出版された『江戸砂子』に「標茅原玉姫稲荷のあたり、此社は山城国稲荷山のいなり移せしなり。王子村岸稲荷と神縁ありと云ひつたふ。」と記され、また新田義貞公と社号にまつわる故実もあわせて述べている。昭和二十年三月十日の大空襲により、一宇を残さず焼失。(新編武蔵風土記稿より)」
我々には「あしたのジョー」の方がわかりやすかも知れません。
本殿の前に
こんなものが立っていました。
江戸名所図会「妙亀明神社 浅茅が原 玉姫稲荷」より塗り絵 奥の森が玉姫いなりです。
こちらは口入稲荷です。
八神殿
ここに八つの神様が入っている?
ここから家に帰る途中で大きな地蔵さんに会いました。
お化け地蔵だそうです。
曹洞宗寺院の松吟寺は、寛永2年に総泉寺の庵室松吟庵として創建、前永平勅特賜大智恵光禅師円月江寂が中興開山したということだそうです。総泉寺は板橋区に移ってしまって、松吟寺が残ったようです。
それとここには古地図の浅ヂガ原の下に載っている総泉寺があったところのようです。
江戸名所図会で総泉寺と不動が描かれています。塗り絵にしたものです。手前が不動イン、奥が総泉寺です。
相変わらず「犬も歩けば棒にあたる」的に散策しています。