以前東京のお祭りの名所ということで、わざわざ訪ねましたが、今回は千住大橋を渡ると橋の袂にある素戔雄神社に偶然出合いました。その前に千住大橋を降りで来るとこんな標識がありました。
熊野神社門前に材木問屋があったと書いてあり、鳥居が見えたので右手の坂を下りました。
鳥居の前は施錠してあり中には入れませんでした。
仕方なくアップで撮ってみました。
★ランドマーク熊野神社:創建は永承五年(一〇五〇)、源義家の勧請によると伝えられる。
大橋を荒川(現隅田川)にかける時、奉行伊奈備前守は当社に成就を祈願し、文禄三年(一五九四)橋の完成にあたり、その残材で社殿の修理を行なった。以後、大橋のかけかえごとの祈願と社殿修理が慣例となった。
また、このあたりは材木、雑穀などの問屋が立ち並んで川岸とよばれ、陸路奥州道中と交差して川越夜舟が行きかい、秩父・川越からの物資の集散地として賑わった。(荒川区教育委員会掲示より)
古地図を見ても熊野神社がよくわかりませんでしたが、天王社の川寄りにクマノと書いてあるところのようです。千住宿から橋を渡ってきたことになります。材木問屋があったという隅田川とクマノ神社の間を通って左に折れるとこんな建物がありました。中には橋本左内像がありました。
ここの脇に自転車を止めて先に行くと鳥居がありました。古地図のアキ地と書かれているところから神社に入ってみました。
左手に神楽殿がありました。まだ、前に来たところとは気づきませんでしたが、
この赤い社で思い出しました。この前はこの日光街道側から入ったので、風景が違って見えました。
中に入っていろいろと思い出しました。
★ランドマーク素盞雄神社:区内で最も広い地域(町屋地区・南千住地区・三河島地区)の61カ町に氏子を持つ神社です。
この素盞雄神社のある千住は、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅へ出発した地点として知られ、「奥の細道」には「千じゅと云所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに離別の泪をそゝぐ」と記されています。 この時芭蕉が詠んだ「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の矢立初めの句碑(松尾芭蕉の碑)が境内にあります。
また、3年に一度の大祭で2日間かけて氏子域を渡御する二天棒の千貫神輿は、左右に振りながら担ぐ神輿振り姿が圧巻です。
祭りの準備をしていましたが、今年の天王祭は6月2日-4日のようです。例大祭です。
江戸名所図会では小塚原天王宮と書かれています。
この絵の奥から入って神楽殿、本殿、正面にある鳥居はこちらになります。鳥居から見て右手に塚があるのが富士塚になります。
こちらは瑞鉱石
浅間神社となっています。裏側日光街道から入ったところに石が置いてあります。
塚の向かいには庚申塔があります。
古地図では右側の大橋に通じる日光街道から入ると
突き当り奥にイチョウの大木あります。
イチョウの木の周りに
千住大橋と芭蕉が旅立つところ様子が書かれています。
こちらは南詰になります。
こんなふうに書かれているようです。
境内のアジサイはまだ少ししか咲いていませんでした。