ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

新宿御苑の紅葉(2016年11月17日)

2016年11月17日 23時12分49秒 | 公園散策

鍼灸治療に行く途中で、新宿御苑に菊と紅葉を見に行ってきました。小春日和で園内散策には絶好の日和でした。楓の真っ赤な紅葉やイチョウの鮮やかな黄色までには2-3日早い感じがしましたが、まずまずの紅葉を見ることができました。

千駄ヶ谷駅から千駄ヶ谷門に向かいます。イチョウの盛りは左手のイチョウが真黄色になります。ということでほんの少し早かった感じがしました。

新宿御苑のルーツが書いてありました。

★ランドマーク新宿御苑新宿御苑の敷地は、天正18年(1590)に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に授けた江戸屋敷の一部です。
 東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大な土地で、のちの甲州街道や青梅街道になる江戸から西にのびる街道と、鎌倉街道が交差する要所であったことから、この一帯の警護など軍事的な目的で家康が信頼できる家臣に与えたとされています。
 内藤氏7代清枚は元禄4年(1691)に三万三千石の信州高遠城主となりました。内藤家の屋敷地はその石高に比べてあまりにも過分であったため、その後かなりの部分を幕府に返上しましたが、明治5年にはまだ十万坪以上が残されていました。  新宿御苑は、この内藤家の九万五千坪余と、当時すでに私有地化していたものの、もとは内藤家の屋敷地であった隣接地を合わせた十七万八千坪(58.3ha)の土地に誕生することとなりました。

 また、現在大木戸門を入った突き当たりにある玉藻池を中心とする日本庭園は、安永元年(1772)に玉川上水の余水を利用して完成した内藤家の庭園『玉川園』の一部です。
 このようなことから、新宿御苑のルーツは内藤家の江戸屋敷と言えます。

古地図江戸切絵図です。内藤駿河守と書いてあるとろに御上水玉川水番、大木戸と書いてあります。玉藻池

玉藻池の排水口です。

何度も訪れているので、千駄ヶ谷門から入ると一路、下の池に向かいます。下の池の排水口の所です。中の池の方に向かいます。

水仙の花壇のところから下の池全体を見渡します。中の池です。ドコモタワーが見えます。

池の端にある楓です。

菊花壇展の日本庭園の中央入り口です。

入ったすぐ左手に旧御涼亭が見えます。

平日の午後ですが結構賑わっていました。

ここらは見頃になっていました。日本庭園の奥まで行き、ここから戻ります。ここはススキのある風景でビューポイントのひとつです。折り返しで少し裏道という感じです。

新宿門に向かうとこです。咲いている花はあまり見つかりませんがサザンカがあちらこちらで咲いています。サザンカに蝶が止まっていました。

三角花壇には鶏頭が植えてありました

こちらの花は今朝NHKで他の公園を映していましたが、ツワブキということでした。日陰に群生しています。

三角花壇からイギリス風景式庭園を見ています。

いつもきれいに紅葉する個々の楓はまだ少し早かったようです。こちらは十月桜(ジュウガツサクラ)です。

大木戸門に向かうところです。左手に温室が見えますが、まだ一度も入ったことがありません。

ここにユリノキとイチョウの大木があり、いい色に染まっていました。でももう少しするとこの落ち葉が一面イチョウの黄色い落ち葉になります。

イチョウの木の下にある丸花壇には皇帝ダリアが咲いています。皇帝ダリアは半年でこの高さまで成長します。

バラ園の方に向かうところです。この左手奥に玉藻池があります。イギリス風景式庭園から日本庭園の方向を見ています。フランス形式庭園、バラ園の脇のポプラ並木です。

 落ち葉が積もっていました。

並木の下は枯葉で覆われていました。

玉藻池の所の休憩所に寄ってからちょっと戻ってみました。山の右手が温室です。

大木戸門のところにあるサザンカです。

大木戸門です。

江戸名所図会に掲載されている四谷大木戸です。左側が城内で奥が城外、今の新宿駅方面です。江戸時代はそれぞれの出入り口に木戸があって、時間になると閉まってしまい、人の移動が出来なくってました。今の不夜城の新宿では考えられません。ちなみに馬三頭が運んでいるのは城内の下肥だそうです。

キャプション「五十にて四谷をみたり花の春 嵐雪」 江戸城内はここまでで、これ先新宿方面は城外になります。

当日はここから出てタクシーで鍼灸治療院に向かいました。

 

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