不忍池のハスを見てから上野の山に向かいました。斜めの坂道を自転車を押して登ると最初に五條天神社がありました。五条天神社は、景行天皇の御代(110)日本武尊が上野山内天神山(摺鉢山)に創建したということで、寛永18年に菅原道真公を合祀、寛永寺創建により、神職瀬川邸に殿座、昭和3年旧地へ環座したということです。
動物園側からは花園稲荷神社と五條天神の参道になっています。
不忍池のところから直接つながっています。
江戸名所図会
によると上野の山より離れて左下のところが五條天神です。
切絵図で確認すると天神と書かれているところが五條天神で
写真のところは稲荷と書かれてある場所に移転しています。稲荷の所に穴と書きましたが、ここは、五條天神の隣にある花園稲荷(穴稲荷)神社となっているところです。
★ランドマーク花園稲荷神社:この神社の創建年代については不詳であるが、五條天神社が移転してくる以前からこの地にあった神社である。一説に空海が東寺の門前に建てた稲荷山]を太田道灌が勧請したとも、天海が勧請したとも、のちに木食浄雲により再興されたとも伝えられるが、社伝では、承応3年(1654年)に天海の弟子晃海により再興されたとされる。幕末には上野戦争(黒門・穴稲荷門の戦い)の舞台ともなった。1873年(明治6年)に周囲が寛永寺の花畑であることから花園稲荷神社と改名され、現在の花園稲荷神社の社殿などが整備された。本務社である五條天神社に管理されているものの、花園稲荷神社は独立した法人格を持つ兼務社であって、五條天神社の境内社ではない。
手前は穴稲荷
穴稲荷神社(忍岡稲荷神社):花園稲荷神社の元宮であり境内社。「忍岡稲荷神社」が正式名称である。花園稲荷神社の整備後も元宮(旧社地)である当神社はそのまま残されている。
弥佐衛門狐:花園稲荷神社の境内社。穴稲荷の向かって左奥にある社。寛永寺建立の際に忍が岡の狐が住むところが無くなるのため、一洞を造り社を祀ったと伝えられる。(以上ウイキペディアより)
花園稲荷神社の社殿は奥にあります。
花園稲荷神社の不忍池よりが五條天神社の拝殿になります。
拝殿や神楽殿なども含めて昭和3年に建てられたもののようです。
★ランドマーク医薬祖神五條天神社:第12代景行天皇の御代、日本武尊が御東征の際、上野の忍岡で薬祖神二柱の大神が奇瑞を現し給い難を救われたので、ここに両神をお祀りしたと伝えられ昭和65年には御鎮座二千八百八十年大祭が行われる、東都屈指の古社であります。江戸初期、社地は神職の瀬川屋敷(上野公園下・旧五條町)に遷り、御創祀に近い現地には昭和3年9月に御遷座になりました。
薬祖神二柱とは: わが国で医薬の祖神と言われているのは、大己貴命(おおなむじのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神で、共に国土経営に尽力され、薬の術や医道、酒造諸々を教えたと「古事記」や「日本書紀」「風土記」等に述べられています。
大己貴命は須佐之男神(すさのおのみこと)の子孫で、大国主命と同じ神様です。神話や童謡でも親しまれ、特に「因幡の白兎」の神話は有名です。(いなば:現在の鳥取県)
少彦名命は神産巣日神(かみむすびのかみ)の御子で蛾(が)の皮の着物に豆の実のさやの舟に乗っていたという大変小さな神であったようです。
ということで、医薬祖神五條天神社は、御祭神が 大己貴命(おおなむじのみこと)と 少彦名命(すくなひこなのみこと)が主神で相殿が菅原道真命となっています。
御利益 無病健康・病気平癒 学業成就
七福社:五條天神社の境内社。江戸時代に上野山内の各門に作られたものの一つ。
五條天神神楽殿
銀杏の大木です。
五條天神社と花園稲荷神社の間の碑
「一山霊神」の石碑。「一山霊神」とは、木曽御嶽神社の行者・一山のことであるそうです。
こちらの案内板は動物園口からの参道にあります。
参道に五條天神社の額が掲げられています。
額堂:伊藤博文揮毫の扁額「神徳惟馨」が掲げられています。
五条天神社手水舎
古地図で稲荷の上に「時ノ鐘」とありますがこちら
★ランドマーク時ノ鐘:時の鐘は石町時の鐘にできて以降、多くの鐘が市内にできた。最初の鐘は1666年にできた。その後、1787年に現存する鐘ができた。谷中感応寺で製造され、正面には「東叡山大銅鐘」、裏側には「天明七丁未歳八月」と彫られてある。
また、享保撰要類集には時の鐘が鳴る順番として上野、市ヶ谷、赤坂田町円通寺、芝切り通しとの順番で鐘が鳴ったという。その後、1996年6月に環境省の残したい日本の音風景100選に選ばれた]。今でも時の鐘は午前・午後6時と正午に撞かれている。
「花の雲 鐘は上野か 浅草か」松尾芭蕉が詠んだ俳句 芭蕉が詠んだ時代は最初の時の鐘だったそうで、芭蕉が聞いた鐘の音を上野の時の鐘か浅草の時の鐘かと思案している。
ここの反対側に上野大仏があります。
★ランドマーク上野大仏:上野大仏(うえのだいぶつ)は、現在の東京都台東区上野恩賜公園内にあった大仏。像高約6メートルの釈迦如来坐像だった。度重なる罹災により損壊し、現在では顔面部のみがレリーフとして保存される。薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所が併設される。
往年の上野大仏:仏頭は関東大震災で落ちてしまい、寛永寺で保管されていましたが、仏体は解体され第二次世界大戦に献納されたようです。
かつて存在した上野大仏殿(以上ウイキペディアより)
切絵図のように大仏殿があったようです。