ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

洲崎神社

2013年04月27日 12時21分46秒 | 近郊地散策

中3孫娘の海外短期留学の公開抽選会が豊洲の教育センターであり、傍聴しました。曙橋に鍼灸治療に行く日ですが、江東区保健所にお邪魔しても、時間があったので付近を散策しました。東陽橋江東区は運河の町のようになっていますがここは汐浜運河です。木場まで歩こうと思って歩き出したら
川の跡(堤防や杭)を見つけました。ちょっとブラタモリの気分で歩いてみました。埋め立てた後は緑道公園になっています。ムクドリに会いましたが写真を撮る前に飛び立たれてしまいました。しばらく歩いたら洲崎橋跡に出合いました。今は川でなく自転車道路が下を走っています。公園は洲崎川を埋め立てたようです公園の突き当りにまた運河(大横川南支流)があり、橋は弁天橋となっていました。なぜ弁天なのかと思って橋を渡ると左手に神社がありました。洲崎神社です。洲崎神社は当初、元弁天社と称し、厳島神社の御分霊祭神・市杵島比売命を斎祀しています。生類憐れみの令で有名な江戸幕府五代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が守り神としていた元弁天社を、1700年(元禄13年)に江戸城中の紅葉山から遷したことが起源で、海岸から離れた小島に祀られたために「浮弁天」と呼ばれたそうです。鳥居をくぐった左脇には「波除碑」と「津波警告の碑」があります。由緒によると「洲崎周辺は1791年(寛政3年)の台風による高潮で多くの死傷者を出し、洲崎弁天も大破した。このため、幕府は一帯の土地を買い上げて空き地とした。当時は松平定信による寛政の改革が行われていた。
 波除碑は3年後の1794年(寛政6年)に建てられた。この年は謎の浮世絵師・東洲斎写楽が活動した年であった。波除碑は江東区牡丹の平久橋にも建てられ、二基とも1976年6月4日に東京都指定有形文化財(歴史資料)に指定された。」とのことです。


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