北小金の施設を訪問しました。こちらも2年振りです。近くの東漸寺を散策しました。
こんなものが立っていました意味がわからなったのですが写真だけ撮ってみました。家で調べたら、勅願所とは、天皇の発願によって建立され,また天皇の帰依を受けた寺。古代には御願寺(ごがんじ)のうちで,鎌倉時代以後御願寺が増え,この勅願寺の呼称がおこる。普通は本尊の脇に天皇の寿牌(じゅはい)または位牌を安置して,聖寿無窮を祈願する。 と書いてありましたがこの文書もよくわかりません。
また、東禅寺のHPには【東漸寺の沿革】
東漸寺は、今から約520有余年前の文明13年(1481)、経譽愚底運公上人により、当初、根木内(この地より1キロ北東)に開創いたしました。この後約60年後の天文年間、現在地に移され、江戸初期に関東十八檀林の1つとされた名刹です。 檀林となった東漸寺は、広大な境内を持ち、多くの建物を擁するようになりました。大改修が成就した享保7年(1722)には本堂、方丈、経蔵(観音堂)、鐘楼、開山堂、正定院、東照宮、鎮守社、山門、大門その他8つの学寮など、20数カ所もの堂宇を擁し、末寺35カ寺を数え、名実ともに大寺院へと発展しました。明治初頭に、明治天皇によって勅願所(皇室の繁栄無窮を祈願する所)となりました。と書かれていました。
広い境内で、松並木は「三保の松原の神社への道」を思い出させるようなものでしたし、今日は枝垂れ桜の葉が茂って本堂が見えなくなっていました。六地蔵と貝塚の跡その裏に昔の無縁墓をまとめたところがありました。あまりに広くあちこちに墓が散らばっていたのでまとめたようです。本堂と寺の前の道は小金宿と書かれていました。
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