ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

向島百花園(新梅屋敷)

2016年06月21日 17時59分57秒 | 歴史の小道

白髭神社から下の道を自転車で移動していたら向島百花園に到着しました。

百花園の沿革にも書いてありますが、1800年代は新梅屋敷と言われていたようです。江戸切絵図にもそのように書かれています。青の線の道を移動してきたようです。

入り口の右側の石碑は

百花園由来の碑です。

趣のある門があります。

入ると右側に福禄寿尊の石碑があります。

次にもう一つあります。

中はいつもの路順に沿いながら移動しました。何回も来ているので写真は少しまとめてみました。石碑はたくさんあるので次回は石碑を散策してみようかと思っています。

今回は塚というのを少しまとめてみました。きょうげん塚です。

こちらはしのぶ塚です。

茶筅塚ということです。茶筅とは、点茶の際、茶を振って泡を発するために用いる道具で晒竹、青竹、油竹などでつくるそうです。

塚とは供養塔という意味のようです。

句碑はたくさんありました。次回はいろいろと収集してみたいと思います。

桔梗がきれいに咲いていました。

おいらん草です。実家の祖父が作った築山花壇に咲いていたので子供のころから好きな花でした。まだひと株だけ咲いていました。

もう少しでほかの株も咲きそうです。

まだ、アジサイがたくさん咲いていました。今年は近場でアジサイをいっぱい撮りました。

ザクロは熟してもすっぱいだけでしたが花はなかなかきれいです。

ここにもノウゼンカズラ

これもノウゼンカズラでしょうか。

寺島ナスがありました。

これは白髭神社境内にあった説明書きです。

東京スカイツリーがよく見えます。

池ををツリー側から見たものです。

池の端にアヤメが一輪

★ランドマーク向島百花園名勝及び史跡。江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に、骨董商佐原鞠塢さはらきくうが、交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、花の咲く草花鑑賞を中心とした民営花園として開園しました。開園当初は360本のウメが主体で、亀戸の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどでした。
その後、詩経や万葉集など中国・日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようになりました。百花園の名称は「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたとされます。

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