午前中にリハビリ病院の外来にいってきました。雨が降りそうでしたが病院の前の歩道橋を通って上がり[この写真は3月25日の物です)水神大橋を渡って隅田川の西岸を浅草に向かいました。スパー堤防はシロツメクサが一面覆っていました。
白髭橋です。
白髭橋のところは
こんな場所だったようです。
歌川広重の「名所江戸百景「隅田川水神の森真崎」
遠くに筑波山が見えているとのことです。
古地図では船ワタシと書かれているところになるようです。
ちなみにリハビリ病院のあるとことろは、枹ヤシキ御殿場と書かれているところになります。
名所江戸百景 墨田河橋場の渡かわら竈
煙は今戸焼ぼ竃でしょうか。
こちらは雪景色
歌川 広重(2代) 隅田川八景 橋場暮雪
今の隅田川はこのようになっています。
見える橋が渡ってきた水神大橋です。
白髭橋からのスカイツリーです。
古地図にある不動インはこちらでしょうか。
★ランドマーク不動院:HPには「不動院(橋場不動尊)は、天平宝字4(760)年、奈良東大寺建立に尽力のあった高僧良弁僧正の第一の高弟寂昇(じゃくしょう)上人によって開創されました。当初は法相(ほっそう)宗でしたが、長寛元(1163)年に時の住職教円(一説には長円)によって天台宗に宗派を改め、鎌倉以降は浅草寺の末寺となりましたが、現在は比叡山延暦寺の末寺となっています。
江戸時代には、周辺の三条公、有馬候、池田備前候などをはじめとする武家の尊信をも集め、明治末年の大化、関東大震災、そして昭和20年3月の東京大空襲の際にも、不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍をまぬがれたことから、霊験あらたかな橋場不動尊として現在でも広く庶民に尊信されています。
現在の本堂は、弘化2(1845)年建立のもので、小堂ながら江戸時代の建築様式を保ち、美しく簡素なたたずまいをしめしています。」とかかれています。
奥に墓地とかあるようですが、これ以上中には入りにくいようになっていました。本堂の脇の地蔵尊です。
ここを通り過ぎると、次に今戸神社がありました。
古地図には見当たりませんでした。よく調べてみたtら八幡宮と書いてあるのが今戸神社の前身です。
長昌寺の江戸名所図会にも今戸焼の煙が上っているのが描かれています。江戸名所図会大人の塗り絵より
歌川 広重(2代)東都名所ノ内 隅田川八景今戸夕照
歌川 広重(2代) 江戸自慢三十六興 今戸焼物
今戸神社の絵馬は、丸い形をしています。「角が立たない」「円満に収まる」ようにと角をとってあるのだとか。そして赤い糸で結んであるのは「円結び」と「縁結び」をかけているのだということだそうです。
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