ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

橋場不動院・今戸神社

2016年05月09日 22時42分04秒 | 近郊散策

午前中にリハビリ病院の外来にいってきました。雨が降りそうでしたが病院の前の歩道橋を通って上がり[この写真は3月25日の物です)水神大橋を渡って隅田川の西岸を浅草に向かいました。スパー堤防はシロツメクサが一面覆っていました。

白髭橋です。

 

白髭橋のところは

こんな場所だったようです。

歌川広重の「名所江戸百景「隅田川水神の森真崎」

遠くに筑波山が見えているとのことです。

古地図では船ワタシと書かれているところになるようです。

ちなみにリハビリ病院のあるとことろは、枹ヤシキ御殿場と書かれているところになります。

名所江戸百景 墨田河橋場の渡かわら竈

煙は今戸焼ぼ竃でしょうか。

こちらは雪景色

歌川 広重(2代)  隅田川八景 橋場暮雪

今の隅田川はこのようになっています。

見える橋が渡ってきた水神大橋です。

白髭橋からのスカイツリーです。

古地図にある不動インはこちらでしょうか。

★ランドマーク不動院:HPには「不動院(橋場不動尊)は、天平宝字4(760)年、奈良東大寺建立に尽力のあった高僧良弁僧正の第一の高弟寂昇(じゃくしょう)上人によって開創されました。当初は法相(ほっそう)宗でしたが、長寛元(1163)年に時の住職教円(一説には長円)によって天台宗に宗派を改め、鎌倉以降は浅草寺の末寺となりましたが、現在は比叡山延暦寺の末寺となっています。

 江戸時代には、周辺の三条公、有馬候、池田備前候などをはじめとする武家の尊信をも集め、明治末年の大化、関東大震災、そして昭和20年3月の東京大空襲の際にも、不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍をまぬがれたことから、霊験あらたかな橋場不動尊として現在でも広く庶民に尊信されています。
 現在の本堂は、弘化2(1845)年建立のもので、小堂ながら江戸時代の建築様式を保ち、美しく簡素なたたずまいをしめしています。」とかかれています。

奥に墓地とかあるようですが、これ以上中には入りにくいようになっていました。本堂の脇の地蔵尊です。

ここを通り過ぎると、次に今戸神社がありました。

 

古地図には見当たりませんでした。よく調べてみたtら八幡宮と書いてあるのが今戸神社の前身です。

永倉新八の”同志連名記”によると、江戸に引き上げた時、沖田総司の肺の病はかなり進んでおり、和泉橋の松本良順の医学所で治療を受けていたが、薩長軍の江戸入りに際して、総司を含む患者たちは浅草今戸八幡に収容されたとのこと。
松本良順は今戸八幡に寓居して患者の治療にあたり、総司は松本良順宅で療養したといわれています。
今戸八幡は現在、今戸神社と改称し、境内に”沖田総司終焉之地”の碑があります。

長昌寺の江戸名所図会にも今戸焼の煙が上っているのが描かれています。江戸名所図会大人の塗り絵より

歌川 広重(2代)東都名所ノ内 隅田川八景今戸夕照

歌川 広重(2代) 江戸自慢三十六興 今戸焼物

今戸焼招き猫(いまどやきまねきねこ)
 
”招き猫”は商売繁盛や招福への願いをこめて、よく店先や玄関などに飾られておりますが、猫は古代から神秘的な力をもつと考えられていました。
いわゆる招き猫の登場は江戸時代で、一方、人形としての招き猫はここ今戸の地で十六世紀から焼かれていた今戸焼が始まりといわれております。
伝わるところでは、江戸末期の話で、浅草に住むある老婆が、貧しさゆえに愛猫を手放したところ、夢枕にその猫が立って言いました。”自分の姿を人形にしたら必ずや福徳を授かる”と。
そこで老婆が横向きで片手を挙げた人形を作り、浅草寺の参道で売り出してみたら大評判だったとのことです。

今戸神社の絵馬は、丸い形をしています。「角が立たない」「円満に収まる」ようにと角をとってあるのだとか。そして赤い糸で結んであるのは「円結び」と「縁結び」をかけているのだということだそうです。

台東区有形文化財(歴史資料)
 
この狛犬は今戸焼職人によって宝暦2年(1752年)に今戸町の鎮守であった今戸八幡神社(現在の今戸神社)に寄進され、文政5年(1822年)に再興されました。
浅草新堀の石工・小松屋竹右衛門が制作したといわれています。
今戸焼は江戸時代から今戸周辺の地場産業。瓦、日常生活道具、土人形、工芸品などの焼き物を生産販売していました。
狛犬の台座に詳細な銘文があり、今戸焼職人と世話人の42人の名前があります。職人達が寄進したことが分かる貴重な資料です。職人は、火鉢屋、土器屋、焙烙(ほうろく)屋に所属し、食器や調理器具など日常生活道具を生産していました。残念なのは、いま、今戸焼を継承しているのはわずか1軒になってしまったことです。

 

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