光が丘のホールで行われたともしび合唱団の定期演奏会に行ってきました。光が丘は昔グランドハイツがあった場所です。公園の案内にもそのことが書いてありました。
60年以上も前、小学校の頃東武練馬住んでいた叔母のところに泊りに来た時に、グランドハイツ行きというバスによく出会いました。叔母からは米軍の施設が近くにあると聞かされていました。そんなことで光が丘には興味を持っていたのですが、今日初めて訪れました。開発されたころはバスしかなかったのですが、今は都営地下鉄大江戸線の終点となっています。公園に続く道路には立派なイチョウ並木がありました。このイチョウ並木は、元は有楽町の旧都庁前にあったものを、JR京葉線建設工事の際に光が丘公園に移設したもので、樹齢100年を越す大イチョウが40本もあるそうです。それらしい大木がありました。紅葉のころにまた来たいものです。
清掃工場や運営が問題になっている病院などもありました。ウイキペディアにはグランドハイツについて「1942年(昭和17年)、日本陸軍は帝都防空を目的に成増飛行場をこの地に建設した。戦後になって同飛行場を接収した連合国軍は、この地にアメリカ陸軍家族宿舎を建設した。その後、1958年(昭和32年)にはアメリカ空軍第5空軍が管理を引き継ぎ、後に、アメリカ空軍第34空軍の家族宿舎 (Grant Heights 34th Air Base Housing Area) となった。
正式名は、時期により「グラントハイツ (Grant Heights)」、「グランド・ハイツ住宅地区」、「グラント・ハイツ住宅地区 (Grant Heights Housing Area)」と推移する。名称の由来は、第18代アメリカ大統領のグラント将軍にちなむ。
敷地面積約1.81km²、建物数約730、入居家族世帯は1,284で、各種施設があり、多くの日本人も、メイド、ボーイ、運転手として働いた。
現在は、東京都練馬区光が丘の全域およびその周辺地域である。」と書いてありました。
ところで、ワシントンハイツというものあったような気がして調べてみたら、5月に訪れた代々木公園・NHKのところでした。
ワシントンハイツ:連合国軍占領下の日本において作られた、アメリカ空軍およびその家族のための団地でした。代々木の92.4万平米に及ぶ敷地に兵舎のほか、駐留軍人とその家族が暮らすための827戸の住宅、さらに学校、教会、劇場、商店、将校クラブなどが設けられていたそうです。
アメリカ軍による東京大空襲などによって廃墟と化していた東京都心にあって近代的なアメリカの町を実現したワシントンハイツでしたが、周囲は塀で囲われ、日本人の立ち入りは禁じられており、ここに居住していたのは、駐留アメリカ軍のうち、主に中位の軍人とその家族であったということです。
もともと、この地は敗戦前まで大日本帝国陸軍の練兵場で、「代々木の原」と呼ばれていたところでした。ワシントンハイツの建設は、占領アメリカ軍の要求によって、日本政府の責任と負担に基づいて行われたそうです。
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