鷺宮に出張でした。3度目ですが今回は、歩行困難で周辺をうろつくことができませんでした。施設のすぐ前にある妙正寺川を鷺宮体育館前まで歩いて戻ってきました。下流
上流です。体育館の川の前の橋から撮りました。
2年前と同じように下流の所に葵が咲いています。
閉じこもりで脚の筋肉が衰えるのが心配で、自転車で出かけてみました。立っているのも大変というような状況ですが、自転車には乗れるので少し散策してみました。旧中川の岸辺の道を散策しました。白ツメ草とヒメジオンです。
ヒメジオンにアオスジアゲハがとまっていました。土手の方を見たら神社が見えたので向かいました。
白髭神社でした。
参道にいろいろな花が咲いていました。ムラサキランやアヤメ。
本殿です。
家に閉じこもってTVを見ています。火野正平のこころ旅で港の見える丘公園が出てきました。昨年の6月23日に行っているので、ブログに書いたことを思い出しました。昨年行ったときは気にしませんでしたがこれはベイブリッジでした。
バラ園のバラがきれいに咲いていました。
こちらはマリンタワーと大桟橋です。
ここまでに行き着く様子はこちらで確認してください。
御茶ノ水の整形外科に行きました。ここは理学療法士による丁寧な説明と具体的なリハビリ方法について教えてくれます。残念ながらここでも症状は回復しませんでした。御茶ノ水駅前に神田神社の幟が立っていたので、歩くのは困難ですが、筋力トレーニングと思い歩いてみました。2度目ですが今回はすでに日が暮れていました。前回雨模様でしたがこちらから見られます。
鳥居のところにあった神輿です。
門の前には、明日からのまつり本番に備えて屋台が出ていました。
由緒書きです。
本殿のまえに多くの参拝客が来ていました。山車がが飾ってありました。
博多の山車にはちょっとかないませんがなかなか立派です。
おおきな大黒様です。
こちらは神楽殿です。明日からの本祭りが楽しみですね。帰りも必死の思いで歩いて帰りました。おかげさまで今日は8000歩を超えました。
いつもテニスをしていたコートのある錦糸公園を散策してみました。錦糸公園は関東大震災の後に作られたようです。立派な門柱がありました。由緒書きがありました。
昭和52年に隣の亀戸に越してきてから利用させていただいています。
当公園は大正12年(1923年)に発生した関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として隅田公園(台東区、墨田区)、浜町公園(中央区)と並んで計画されたものだそうです。
元々は帝国陸軍の糧秣厰倉庫であったが公園として整備され、昭和3年(1928年)7月18日に開園されています。戦時中は空襲からの避難所としての役割や戦災で命を落とした人たちの仮埋葬所としても利用されました。こと昭和20年(1945年)3月のの東京大空襲では、1万余の遺体が当公園に仮埋葬されたとのことです。戦後は人々の憩いの場として使われるようになり、次第に体育館や噴水池などが整備されました。また公園の北側には隣接して長く精工舎(SEIKO)の工場がありましたが、再開発によりオフィスや飲食店などが入った商業施設「オリナス」が平成18年(2006年)にオープンしました。錦糸公園もそれにあわせて再整備されました。門柱もこの楠も昭和3年の開園時からあるものでしょうか。錦糸町駅に近い入口の所にこんな社があります。
千種稲荷(ちぐさいなり)です。ここは、 徳川四代将軍家綱の時代(寛文~延宝)に治水工事が行われその後、柳島村の守護神として祭られたと伝えられています。
明治時代になっても、この稲荷神社は保護されて郷土の守護神として残されました。
その後陸軍糧秣廠本所倉庫をこの地に建設したとき、敷地内にあった稲荷神社を取り払ったところ再三火災が発生した。そこで旧位置に稲荷社を再建して祀ったところ不思議にもその後火災はまったく起こらなかったという。 大正十二年の震災はもちろん、昭和二十年の空襲にもなんの被害もなく多くの人が境内に避難し戦火を逃れたという。ことだそうです。現在は錦糸公園の中に祀られている。
詳しい由来記が書かれていました。
*陸軍糧秣廠(りくぐんりょうまつしょう)・・・陸軍の兵隊の食料や軍馬のまぐさをたくわえた役所
お稲荷さんのところからスカイツリーもよく見えます。