ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

亀戸天神菊まつり(満開11月16日)

2016年11月16日 22時30分38秒 | 季節の花

10月に2度見に行きましたが、その時はまだ菊が青々としていました。二週間以上経って、今回はいよいよ満開というところです。

菊のツリーもようやく色付いてきました。

品評会が終ったらしく賞が飾ってありました。表彰する基準がよくわかりませんが細いのはより細く丸いのはふっくらと丸いのがいいのでしょうか最初の太鼓橋の所にも菊が飾ってありました。

スカイツリーのビューポイントでも菊を入れることができます。

昔は菊人形とよく言っていましたが、最近は人形の形をしているのがあまりありません。

これは鳥とかでゴリラでも描いているのでしょうか。

こういうのはわかりやすいです。

太鼓橋の菊もほとんど満開でした。境内の藤棚も黄色く色付いていました。

こちらの社は弁天社ですが

太宰府天神の志賀社と書いてるので興味を持ちました。

平日の午前中ということで境内は閑散としていました。

 

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猿江恩賜公園の秋

2016年11月13日 23時29分10秒 | 公園散策

11月12日、13日と好天に恵まれ絶好の観光日和でした。リハビリ中の者にとっても青空の中でのすがすがしい気分で公園ウォーキングができました。秋深まる猿江恩賜公園を周回しながら撮ってみました。これはニシキギの仲間、楓が紅葉する前の、唯一の赤い葉が目立っていました。

イチョウがちょうど見ごろになりました。黄色が真っ盛りという感じです。

東京スカイツリーをバックにイチョウをイチョウに交じって欅も色付いて紅葉をにぎわしています。いつものウォーキングロードです。振り返ってみました。ロードから外れて撮ってみました。広場です。ここも通り道、色付いたなかで逆に緑が鮮やかです。

こちらは別ルートここは歩いたことがありません。

池には必ず寄ってみます。

酔芙蓉がほぼ終わって、今は皇帝ダリアが見頃です。凄い生命力だと思いました。昨年初めて知った花ですが、終わると根元から切ってしまいます。ということは1年足らずでここまで成長して花を泣かせるのです。昔の漫画で忍者になるもの訓練で、木の生長に合わせてそれを飛び越えるというものがありましたが、皇帝ダリアを目標にすれば1年で2m50cmが飛び越えられるようになります。

楓がようやく赤みを帯びてきました。

 

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猿江・摩利支天祠跡、重願寺

2016年11月12日 08時57分21秒 | 江戸名所図会めぐり

猿江神社の近くに摩利支天がありました。江戸名所めぐりで探してたのですが偶然に出会うことができました。

幟には摩利支天尊日先神社と書いてあります。

★ランドマーク猿江摩利支天祠跡日先神社:日先神社(ひのさきじんじゃ)に摩利支天尊と永喜稲荷大明神が祀ってあります。正徳年間(1711-1716)または延享年間­(1744-1748)に創建と伝えられています。船橋大神宮の末社であった摩利支天祠を祀り直­したということだそうです。「江戸名所図会」や「東都歳時記」といった江戸時代の書物にも掲載されて­います。摩利支天とは仏教の神様であり、太陽の前に先立ち進むと言われることから、明治­以降に日先神社と改称したようです。永喜稲荷とは戦災後に合祀されたそうです。

江戸名所図会よりわたしの彩(いろ)「江戸名所図会」大人の塗り絵ではきれい塗られています。キャプション:霊験炳然(いちじるし)とて詣人つねに絶えず。来由は、『拾遺江戸名所図会』によってみるべし。

狛犬はカゴに囲われていました。

古地図でも猿江(稲荷)神社と重願寺が近くにあることがわかります。

重願寺山門です。重願寺は江戸名所図会では手前にあるはずですが、描かれていません。江戸名所図会は寛政年間(1789年―1801年)から編集はじめて、1834年に前半10冊、1836年に後半10冊が発行されたようですので、重願寺は名所といわれるほど有名ではなったのでしょうか。

★ランドマーク重願寺天正一八年(1590)、千葉邦胤の娘不虚大禅尼により、日本橋郡代屋敷に草創され、寛永六年(1629)、普光観智国師(増上寺第一二世)の高弟本蓮社願誉是哲上人により開山され、当知院不虚山重願寺と称した。数度移転し、寛政七年(1795)第一〇世実誉上人のとき御用地となり現在の猿江に移る(「不虚山重願寺」)。ということのようです。

山門の由来が書いてありました。

本堂は新しくなっています。

墓の入り口には「みまもり観音」が立っています。

関根正二の墓があるということですが、関根正二は知りませんでした。

 

 

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猿江(稲荷)神社

2016年11月11日 21時54分03秒 | 社寺仏閣

東陽町の江東区役所に出かけた帰りに、木場公園やら猿江付近を散策して猿江神社に行き着きました。

鳥居です。

コンクリート作りの拝殿です。

由緒書きがありました。

★ランドマーク猿江神社:伝承として昔、康平年間(1058-1065)源頼義が奥州征伐(後三年の役)の頃、この附近の入江に勇々しき戦武士の屍がただよい着き、不思議にも其の屍より毎夜光明を発し村人この屍を丁重に葬る。
武士の鎧に源頼義の臣「猿藤太」と記しあり、又懐中よりありがたき経文一巻がいでたり。よって村人「猿藤太」の頭文字と入江の「江」をとりて、猿江稲荷と尊稱し、近郷近在の守護神となし、村落の敬神の地として仰ぎ奉り、豊作祈願、病気平癒、悪病退散、等のこの地の氏神社として祭り、又それより地名をも猿江村と稱えはじめ現在に至れり。
正に猿江の地名これより発祥せり。
尚、当時、この村落の氏神社である猿江稲荷神社は右末より「天照大御神」「宇迦之御魂神」とを御祭神としていたが武人猿藤太の御霊をも合せ加え、代々お祀り申し上げて参りました。江戸時代は猿江稲荷神社と稱し隣接せる、日蓮宗寺院本覚山妙寿寺の住職が代々守護管理を司っていたが明示以後、近年になり、神保宮司を祭官として招き、合せて村、町の発展と共に町内氏子の者達が、神社の護持運営にあたり現在に引き継がれた次第であります。

古地図(江戸切絵図)には猿江稲荷と書かれています。地図の下は小名木川、横は大横川となっています。右上の畑の奥が御材木場(現在の猿江恩賜公園)になります。

猿江の地名発祥の碑が建っています。

江東区の文化財に指定されてるものがいくつかりました。水盤です。

石造燈籠一対です。

境内には馬頭観音社がありましった。こちちらは藤森稲荷神社

由緒書き

今の猿江恩賜公園のところにあったものをこちらに移転したようです。

拝殿の裏側にも稲荷神社がありました。

 

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秋深まる猿江公園、イチョウに皇帝ダリア

2016年11月07日 21時28分36秒 | 公園散策

腰部脊柱管狭窄症(15年6月)と胸椎黄色靭帯骨化症(15年12月)と2度の手術とリハビリ病院でのリハビリも7月で終了したので、8月から自主リハビリとして、猿江公園、1周1080mをリハビリウォーキングしています。8月9月は2周を歩くのを目標に、10月からは3周を目標に歩いています。足のしびれと、膝折れが心配しながらの歩きでストレスがたまるのですが、四季の変わり、咲く花をめでながら気分転換をしています。猿江公園も10月下旬から一気に秋めいてきたので、まとめて写真を掲載します。

猿江公園からもいろいろな角度から東京スカイツリーが見えます。

池に映る風景も見ものです。夕焼けも綺麗に見えます。

イチョウの黄色に染まって行きます。

イチョウ以外の広葉樹も色付いています。

いろいろな人が公園ウォーキングしています。

メキシカンセージセージでアゲハが蜜を吸っていました。

ノボタンが長く咲いています。

10月の終わりまでエンジェルトランペットが咲いていました。

11月になって皇帝ダリアが咲きはじめました。

ダリアの柵のところにトンボが止まっていました。

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