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18か月ぶりに再開したキプロス会談。今度こそ決着へ

2014年02月11日 | 国際
2月11日 分断された島キプロスの2人のリーダーが、長いこと中断されていた話合いに決着をつけるため、今日、18か月ぶりに平和会談を再開しました。トルコ・キプロスのデルヴィシュ・エルオール大統領とギリシア・キプロスのニコス・アナスタシアデス大統領は、分断された首都ニコシアの国連居留地帯で会談しました。両サイドは交渉のための新しいロードマップを受諾したと言っています。

 Hurriyet
エルオール大統領(右)とアナスタシアデス大統領がニコシアの緩衝地帯で会談しました。


トルコ・キプロスのオズディル・ナミ外相は昨日、近づく会談の重要性を強調しました。
「われわれが過去から学び、連邦制で決着をつけることができたら、交渉の成果として、総合的な計画のための国民投票が両サイドで行われるだろう。これは何年間ではなく、何か月間で可能だろう」とオズディル・ナミ外相は言いました。

ギリシャ・キプロスのイオアンニス・カスリデス外相は、共同声明問題でのデッドロックを乗り越えるためには、ワシントンの助力が必要だとほのめかしました。
この会談は2012年中頃に交渉が失速しから初めての正式会談です。

前回の会談の最後のラウンドは、ギリシャ・キプロスがEUの輪番制の大統領を引き受けた時点で中断されました。再開はユーロゾーンの債務危機によって、さらに遅れました。

トルコのダウトオール外相は、EUのステファン・フュール拡大コミッショナーと会い、キプロス問題を含む多くの問題を話し合いました。
「われわれはキプロス問題の総合的決着が、互いの利益のためにも重要であることで合意した。いますぐ再開が望まれている会談のために、この何週間か、トルコはよくサポートしてくれた」と、フュール・コミッショナーは言いました。


2013年、トプカプ宮殿がアヤ・ソフィアに勝った

トルコ旅行社組合(TURSAB)によれば、2013年、トルコの博物館を訪れた人の数は約3000万人ですが、入場者が最も増えたのはトプカプ宮殿博物館、とくにハレムだったそうです。ハレム入場者の数は初めて100万人を越えました。トプカプ宮殿の総入場者数は339万7000人だったので、アヤ・ソフィア博物館を抜き、2011年、2012年、最も入場者の多い博物館のトップになりました。

50の博物館を運営し、105の博物館と遺跡を近代化したTURSABは、同時期、2億6320万リラの収益を上げました。
レポートによると、博物館の入場者数の増加は、トルコを訪れる外国人数と比例しているそうです。

 Hurriyet
最も入場者の多い博物館はトプカプ宮殿


2000年代の初めまでに、約700万人の人々が訪れたトルコの博物館と遺跡は、2013年末までに295億5330万人の入場者を迎えました。
TURSABと文化観光省のデータによると、見学者の69%が外国人だそうです。

トルコを訪れる人の44%がイスタンブールの名所へ
2013年、全国の博物館の入場者の44%、890万人の人々が、イスタンブール・エリアの博物館を訪れました。
イスタンブールに次いで人々が訪れたのは、エーゲ海とセルチュク・エリアで、290万人。カッパドキアは第3位で250万人。次は西アンタリヤで190万人等々です。

外国人を最もひきつけるイエレバタン貯水池

イスタンブールで最も壮麗な歴史的建造物のひとつバシリカ地下貯水池(イエレバタン貯水池)は昨年、200万人を超える人びとが入場しましたが、そのうち170万人は外国人でした。

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入場者が増えつづけるイエレバタン地下貯水池


イエレバタン貯水池博物館のジェラレッティン・デニストケル館長は、貯水池は542年、ビザンティン皇帝ユスティアヌス1世が宮殿に水を供給するために建造したもので、イスタンブール征服後は利用されていなかったと言いました。

「この貯水池は1987年、イスタンブール市によって修復され、公開されました。入場者は毎年、増えつづけています。昨年は入場者が200万人を超え、記録が更新されました。入場者の5人のうちの4人は外国人、210万人の入場者の中の175万人が外国人でした」


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かなりバカっぽいハイジャック犯でした

2014年02月11日 | 国内
2月10日 7日、ウクライナ人の男がトルコ行きの飛行機をハイジャックして、すぐに捕まったニュースは、日本でもちょこっと報道されましたが、その詳細が報告されたので・・・。
このバカ・ハイジャッカーはウクライナのハルキウ発イスタンブール行きのペガサス航空機をハイジャックし、飛行機をソチに向かわせようとしましたが、クルーたちの機転で失敗しました。

 Hurriyet
ハイジャック犯はなぜか、ホッケーのモントリオール・カナディアンズのサク・コイブ選手のジャージーを着ていました。


目撃者によると、44歳のアルテム・コズロフというハイジャッカーは、ペガサス航空機が離陸して数分後にキャビン内で立ち上がり、携帯電話を振りまわし、貨物室に仕掛けた爆弾を爆発させられると叫んだそうです。

それから彼はコックピットに近づき、飛行機をソチに向かわせるよう要求しました。クルーたちは飛行機がソチに向かっていると彼に信じこませ、トルコ当局に事件を通報しました。
ハイジャック犯を鎮めるため、クルーは「飛行機は技術上の問題のためソチに着陸します」とアナウンスしました。

ハイジャック犯は自分のシートに戻り、飛行機が目的地のサビハ・ギョクチェン空港に着いても、彼はソチに着いたと思い込んでいました。
パイロットが管制塔にハイジャックを通報し、緊急発進したF16ジェット機がハイジャック機をエスコートして着陸させました。

ハイジャック犯コズロフは、対テロリスト警察の取り調べに対して、「ウクライナの反政府プロテスト中に拘束された、ユリア・ティモシェンコ前首相を初めとするデモ参加者の釈放を要求するつもりだった」と語りました。
コズロフは、ウクライナのヴィクトル・ヤヌコーヴィッチ大統領とロシアのプーチン大統領の、ウクライナの暴動に関するスタンスに対して行動を起こしたのだと言い、彼らの手は“血まみれだ”と罵ったそうです。

しかし、ハルキウ当局はこの事件を軽く見ているようで、ハイジャッカーは酩酊状態だったと説明する声も聞かれます。

飛行機がトルコに着陸すると、特殊部隊がコズロフと交渉を始め、その間に部隊は貨物室に爆発物があるかどうか調べました。
特殊部隊が機内に入ると、ハイジャッカーは「私はトルコを愛している」と叫んだそうです。彼はまた、「特別の理由があって、トルコ機を選んだのではない。チケットを買うとき、たまたまハルキウを発つ飛行機だった」と言いました。

取り調べ後、リュトフィ・エルヴァン運輸相は、この事件がテロリスト集団の陰謀の一部ではなくてよかったと語りました。「これは深刻な事件ではない。単なる一個人の行動にすぎない」

コズロフには、ウクライナで、強盗と“フーリガン”の犯罪記録があったと、10日、トルコ当局が発表しました。ウクライナもこの事件に対して独自の捜査を始めています。


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