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最大野党党首が世俗主義の重要性を力説

2014年02月16日 | 国内
2月16日 宗教が政治でポイントを稼ぐ道具として使われてはならないと、最大野党・共和人民党(CHP)のケマル・クルチュダルオール党首が力説し、このようなアプローチがトルコを墓場へ導く結果となったのだと語りました。
「穏健イスラムを信奉していると、過激派が出現し、体制を崩壊させるのを、われわれは見てきている。パキスタンでも、アフガニスタンでも、見られたことだ」と、クルチュダルオール党首は2月14日の「ウオールストリート・ジャーナル」を引用して言いました。

 Hurriyet

「宗教を政治に利用すれば、社会を平穏に保てないことを、われわれは知っている。世俗主義は社会を平静にまとめる接着剤だ。エルドアン首相はモスクの庭で集会を開いている」政治的緊張の中、選挙が近づくいまのクルチュダルオールの発言です。
12月17日に始まった大汚職捜査は、エルドアンとその政府を揺さぶり、その一方で、政府とイスラム学者フェトフラー・ギュレンとの確執が世間の目にも明らかになってきました。

両者の確執は、アメリカに拠点を置くギュレンが支援する“国家の中の国家”に犯罪捜査の手が入るかもしれないというレベルまで来ています。エルドアン首相は、政治と司法に影響力を持つギュレンの信奉者たちが、首相を解任させる“クーデター”を起こそうとして、汚職スキャンダル事件を仕組んだとして告発しています。

クルチュダルオールは彼の党CHPがギュレン運動に接近してきたという噂を否定しました。
「わが党がギュレン・コミュニティに近づくなど、ありえない。だが、そのような見方をする人々はいる」と彼は言い、“国家のような組織”ということばは、汚職にかかわる政府にこそふさわしいと言いました。

クルチュダルオール党首はまた、隣国シリアの血なまぐさい内戦に触れ、政府の“ジハーディスト(聖戦主義者)支持”を批判しました。
「政府はシリアのジハーディストたちを支持している。そのつけがまわってきたのが、レイハンルの爆破事件だ」と、クルチュダルオール党首は、2013年5月に53人が死んだ、シリア国境に近い町レイハンルでの爆破事件に触れました。

シリアのアルアサド大統領を批判するトルコは、現在、シリアの難民と反体制派と軍の離脱者6000,000人以上のシリア人を抱えています。


イスタンブールのハマムは街の喧噪を逃れる聖域

イスラムはからだを清潔に保つことを重んじるため、イスタンブールには1400年も昔から何百ものハマム(浴場)が建てられていました。その昔、イスタンブールには14000戸以上のハマムがあり、近隣の社交場として、また、からだを清潔にする場として、にぎわっていました。

 Hurriyet

現在、イスタンブールのハマムは130戸に減ってしまいましたが、いまでも大都会の刺激に疲れたとき、安らいだ気分になれる独特の聖域でありつづけています。
イスタンブールの最も古いハマムは、チェムベルリタシュ・ハマム、ガラタサライ・ハマム、ジャーロール・ハマム、アヤソフィア・ヒュレム・スルタン・ハマムの4つです。

イスタンブール最古の浴場チェムベルリタシュ・ハマムは、1584年、有名なオスマンの建築家ミマル・シナンが建てました。
このハマムはオスマンのスルタン・セリム2世の妻、ヌルバヌ・スルタンが、彼女が建てた慈善用施設の維持費用を賄う目的で建てさせたものです。

「旅行者はトルコに来たからにはハマムを経験してみたいと思うようです」と、チェムベルリタシュ・ハマムの広報担当のトゥーバ・ウヤルさん。「うちのハマムにはスペイン人がよく着ます。最近はアラブ人や若いトルコ人も来るようになりました。リラックスできる雰囲気が魅力のようです。オスマン時代、ハマムはとくに女性の社交場として人気がありました」

1741年に建てられたジャーロール・ハマムは、オスマン時代の建てられた最後の大きなハマムです。イスタンブールのエミノニュ地区にあるこのハマムは、スルタン・マフムート1世が図書館を建てる費用を稼ぐために建てられました。

「浴室は美しく、タオルにからだを包んで寝転んでリラクスする中央の台は、すべて大理石製です」とハマムのマネジャー、オメル・トルクンさん。「ハマムに来たら、まずリラックスし、くつろいで、汗をかくことが必要です」
ジャーロール・ハマムはフローレンス・ナイチンゲール、オマー・シェリフ、ハリソン・フォード、ケイト・モス、キャメロン・ディアズらも訪れています。

ヒュレム・スルタンのハマム
ミマル・シナンはまた、ブルーモスクとアヤソフィアの間の、ローマ時代に浴場があった場所に、アヤソフィア・ヒュレム・スルタン・ハマムを建てています。

 Hurriyet

このハマムは1910年まで営業していましたが、その後、何年も閉鎖されていました。近くにあったスルタナメット刑務所が満杯になると、囚人を収容するのに使われたこともありましたが、その後、紙やオイルの倉庫になりました。

1957~1958年に修復が行われ、イスタンブールで最も美しいモニュメントのひとつであるこの建物は、2007年までカーペット市場として使われました。

ベイオールのガラタサライ高校の隣にあるガラタサライ・ハマムは1715年の建造です。トルコ浴場の古典的な設計にのっとって造られ、1965年には修復が行われています。
主要な建物はオリジナルのままですが、内部の細部は修復の際、設計が変わっています。


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