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人質解放 続報! 101日ぶりに家族と会った

2014年09月20日 | 
9月21日 イラクのモスルでイスラム国(ISIS)に捉えられていた49人の人質が解放されました。人質たちは南部のシャンルウルファまで出迎えに行ったダヴトオール首相とともに、アンカラのエセンボア空港に降り立ち、万感の思いで待っていた家族たちと会いました。

 Sabah

ダヴトオール首相は空港の大群衆の前で、「情報機関が作戦を成功させて人質を取り戻し、われわれはこのすばらしい瞬間を迎えることができました」と言いました。また首相は、人質になっていたオズテュルク・ユルマズ総領事と領事館職員たちの忍耐に感謝し、「あなたがたは捉われている間も、わが国ために奉仕していたのです」と言いました。「とくに、わが国の情報局と、このミッションを遂行するために協力してくれた軍に感謝したい」

人質の問題は、彼らが6月11日に捉われて以来、つねに政府の議題だったと、首相は力説し、トルコがISISに秘密に協力しているという話を全否定しました。
「トルコはISISから逃れてくる人々を、人種、宗教、言語のべつなく、受け入れつづけます」と首相は明言しました。

6月11日、モスルで人質になったのは、外交官、領事館職員、その家族の46人のトルコ市民と、領事館で働いていた3人のイラク市民です。


トルコ総領事は頭に銃を突きつけられてもISISに抵抗した

 Hurriyet
 
ユルマズ総領事の顔には明らかな打撲の跡が痛ましい


イスラム国(ISIS)から解放されたトルコ人人質の1人は、「オズテュルク・ユルマズ総領事は命を賭けてISISの要求に抵抗した」と言いました。

「総領事は大変な事態に直面したのです。ISISの戦闘員が2度も3度も、総領事の頭に銃を突きつけて、声明を発表するよう強要しました。しかし、彼は銃を突きつけられても、彼らの望みに応じませんでした」と、解放された人質の1人が、シャンルウルファからアンカラへの機内で、CNNトルコに語りました。

「彼らは最初の日から私たちに、撮影されることを強要しました。しかし、総領事は“撃つなら撃て。だが、私はトルコの誇りを傷つけることは許さない”と、命がけで言いました」
他の人質アルプテキン・エシルギュンさんも「総領事は頭に銃を突きつけられても、声明をしなかった」と証言しています。

 Hurriyet
 
ユルマズ総領事の勇気を讃え、ねぎらうダヴトオール首相

トルコ人の人質が拷問や虐待を受けることがあったかという質問に、「確かに、なくはなかった」と、人質の1人は応えています。人質になっていた領事館の警備職員アルパルスラン・イエルさんは、トルコ人はムスリムだから、他の人質よりはよく扱われた。しかし、外では戦いがつづいているのだから、快適とはいえなかった」と、エシルギュンさんはアナドルニュースに語りました。

・・・ユルマズ総領事はISISの要求する内容の声明をヴィデオカメラの前でしゃべるのを
命がけで拒否したのです。すごいサムライですね。


「新党を結成する気はない」とギュル前大統領

div style="padding-left:30px"> アブドゥラ・ギュル大統領は、エルドアン新大統領が、彼が議長として公正発展党(AKP)に復帰することを妨害したが、新しい政党を結成する気はないと、くり返し言いました。

 Hurriyet

「私が新党を結成するだろうという推測記事は何度も読んだが、根拠はない。私はすでに、この問題について声明を出しています」と、19日、ギュル現大統領は記者団に語りました。

7年間大統領を務めたギュル氏は、8月28日、その職をエルドアン氏に譲りました。ギュル氏はまた、自身が設立者の1人であるAKPに、議長として帰る意向を明らかにしていました。しかし、エルドアン新大統領はダヴトオール前外相を議長と首相の座につけました。

「私は過去の大統領たちと同様な行動をとります。私は(党内の)友人たちに助力し、大統領と政府内の友人たちを支援します。政府、首相、閣僚は、国民と国家に奉仕するよう定められています。私は彼らを誇りに思い、彼らの成功を支援します」とギュル前大統領は言いました。

「私は私の大事な兄弟であるエルドアン氏が、私の残した旗を掲げて進むだろうと確信しています。トルコはまちがいなく、強く、豊かで、幸福な国として歩みつづけるでしょう」と彼は言いました。
ギュル前大統領は最近、大統領職を離れて初めて、故郷をカイセリに旅行し、群衆の盛大な歓迎を受けました。


400年前の貯水池が発掘作業に貢献

ヴァンのホシャップ城の発掘作業で出てきた城内の400年前の貯水池は、すでにツーリストの注目を集めています。発掘隊長はヴァン・ユズンジュユル大学のメフメット・トップ教授です。貯水池は城内の階段を下りたところにあるそうです。

 Hurriyet

今年の作業は、城の北東部のハーレムと展望テラスを中心に行われたそうです。発掘チームは城の上層部、入口への道、パイプ、陶器の破片などを掘り出しました。トップ教授は、貯水池はこの城内での最も重要な発見だと言っています。

「当時の人々はこのような貯水池を設けて、必要な水を確保していたことが明らかになりました」とトップ教授は言いました。この貯水池はなんと、教授たち発掘隊の水確保にも貢献してくれたそうです。

「私たちはタンカーで水を運び、貯水池を満たしました。貯水池の発見は私たちにもすばらしいチャンスになったのです」と教授。発掘隊は400年前の貯水池に満たした水を生活用水として使ったそうです。
・・・発掘隊の方々、暑いとき、400年前の貯水池をプールがわりに泳いだんじゃないかしら。


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