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アテネの裁判所は元トルコ軍人の亡命を再検討する

2018年01月06日 | 国際
1月6日 アテネの裁判所は、1月5日、元トルコ軍人の亡命を認めた裁定の再検討を求めるギリシャ政府の要請に合意しました。元トルコ軍人8人は2016年7月15日のクーデターが失敗に終わった後、軍のヘリコプターでトルコからギリシャに逃げ込みました。

 Hurriyet

アテネ裁判所は40分間の密室審問の後、2月15日に最終的な裁判を行うと言いました。第3独立亡命委員会によると、ギリシャに逃げ込んだヘリコプターの副操縦士シュレイマン・オズカイナクチュは、先週、亡命を認められました。残り7人の将校たちは、これまで亡命を認められていません。彼らは亡命委員会が裁定を下すまで、ギリシャ当局に拘置されています。

トルコ外相は亡命認定を批判し、ギリシャはこの判決によって、陰謀者たちを保護し擁護する国であることを明らかにしたと言いました。トルコ法務省は、元将校たちの送還を数度にわたって要請しています。2017年1月26日、ギリシャ最高裁判所は将校たちをトルコに送還しないという判決を下しました。トルコ外務省は、この判決を“政治的動機による判決”と批判しました。

この問題は、2017年12月7日、トルコのエルドアン大統領がギリシャを公式訪問したときにも話し合われました。フェトフラー・テロリスト組織(FETO)は、2016年の未遂クーデターを計画したとひろく信じられています。このクーデターによって、250人がなくなり、2200人が負傷しています。

FETOはトルコの国家組織、とくに軍隊、警察、司法組織の中に浸透し、国家を転覆させるための長期にわた作戦を行ってきたと、トルコ政府は非難しています。


マルディンのモル・オウギン修道院が訪れる人を待っている

モル・オウギン修道院は、南東部マルディン県ヌサイビン地区のバゴク山の麓にあります。

Hurriyet

ローマ時代に建てられ、1970年に司祭がなくなってから閉鎖されていましたが、2011年、シリア正教の僧ラバン・ヤキム・ウンファル師が信者たちのために再オープンしました。メソポタミア大平原を見はるかす山腹の斜面に建てられた修道院は、シリアから石を投げれば届く距離にあり、シリアク人にとっては第2のエルサレムと考えられています。

「多くの僧がここで修業してきました。エルサレムに旅立つ人々を、私たちがここで祝福しています。近頃は、シリアク人のほか、国内外のツーリストも修道院を訪れるようになりました」と、ウンファル師は言いました。

ヌサイビンの中心から25キロ、1700年の歴史を持つ修道院は、1970年にラフボ・オルズ司祭が亡くなったときから閉鎖されていましたが、ウンファル師が再開しました。マルディンには他にも美しい修道院がありますが、モル・オウギンの建築は他の修道院と異なり、トルコ最大の鐘もあります。

世界最古のキリスト教の宗派のひとつシリア正教の信者たちは、エルサレムへ巡礼に行くまえにマルディンを訪れます。修行僧としてこの修道院で働いているウンファル師は、モル・オウギン修道院は、シリアク社会で最古の修道院のひとつだと言いました。モル・オウギン修道院は、マルディンでもっと有名なデイルザファラン修道院やモル・ガブリエル修道院より古いものです。「ここは、まだ発見されていない場所と言えます。この修道院の扉を開けることができた私たちはとても幸せです」とウンファル師は言いました。

標高1000メートルの高みにあるこの修道院は、黒海地方トラブゾンの山中にあるシュメラ修道院と似ていると、よく言われます。1700年昔、エジプトから来た聖オウギンとその弟子70人が、この修道院を建てました。聖オウギンはシリアク社会に貢献したとして“メシア”の称号が与えられました。過去、およそ350人の僧たちがこの修道院を支えてきました。


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