「何か1つ」を見つける毎日(⌒‐⌒)

自然と神様と猫と木と音楽、、それからそれから、、( - ө - )

祈り

2016-11-06 13:30:21 | 人ひとり、、のお話
祈りというと、

すぐに、何かの宗教❓と聞かれることが多いけど、,

祈りは、祈りで、

ジブンとしては、宗教ではないと思うの。

以前書いたけど、ワタシの父は、口数は少ないが、未だにジブンノ心に残っている、沢山の事を、さりげなく教えてくれた。

宗教心は、人間が生きていく上では、必要なものかもしれないが、ひとつの宗教にだけのめり込むのは、あまり良いことではないな。

ボソッとワタシに呟いた父。

ワタシは確かまだ高校生くらいだったのではないか。

近所に、ある宗教の熱心な信者さんがいて、そのかたがうちに布教に来たのだけれど、、

そのかたが言うには、「世界が終わり、人類が滅亡しそうになる時、私たちの宗教に入信すれば、私たちだけは助かります。」

と言う。

黙って聞いていたワタシの横で、口をへの字に曲げた父が、表情を強ばらせた。

「お父さん、どうした❓」

ワタシが尋ねる。

「どうしたって、、お前、人類滅亡の危機の時、自分たちだけ助かって、それで、何か嬉しいか❓私はいやだねえ、、。みんな助かりましょうって助け合うのが幸せじゃないの❓自分たちだけ、って言うのが何かいやですねえ、、。」

かなり抑えた口調ではあったが、キッパリ父が言った。

それきり、その近所のかたは、うちに来て入信を勧めることはなくなった。

そんな出来事が、うん十年たった今でもこころに残っているのだから、、。

ジブンニしてみれば、かなりキョーレツな出来事だったのだろうな。

宗教心は必要だけど、ひとつの宗教だけに没頭しないほうがいい。

ワタシも、同感でございます、父よ。


ふるさと

2016-08-16 05:26:21 | 人ひとり、、のお話
実際

帰る故郷があるというのは

ものすごく

幸せなことだ。

幼い頃から慣れ親しんできた

神社に参拝してきた。空気が澄んでいる。

そして、やっぱり空が高い

ワタシのふるさと北上は

合併合併を重ね、

いまは、おおきな町になったけど、

幼い頃から見つめてきた

美しく素朴な風景は

結構そのまま

残ってる、、。

また帰ってきます







これから、、🙋

2016-02-08 08:07:40 | 人ひとり、、のお話
杜を毎日訪ねているジブンに、時々ジブンで驚いてしまう。
山の祠がそもそもの始まりだが、blogに書こうかと思いながら、書いていなかった山での忘れられない出来事がある。なぜ書いていなかったのか、、。早い話、書いたら「そんな事、、ないない、、👋」と読者のかたに思われやしないかと、そればかり心配していたからだ。
?もしかしたら、、?の話だが、昔から、激しくではないが、ちょっと何かしら感じる体質ではあったようだ。なかなか回りの人にはあまり言えなかったし、言ったところで「気のせいよ、勘違いよ、」と言われて終わり、、のようで、結局その事は心のなかで勝手に消化し、忘れるようにし、考えることをやめていた。
だが、今からもう大分前、普段から尊敬し愛読していた作家の佐藤愛子先生が、ご自宅での不思議な体験をありのままお書きになった本を読んで「ほら、ほら、、ほら、やっぱりね、あるのよ!」とジブンは、大きく頷いたのだ。それでも、やっぱり、このような出来事は、実際に体験した人でなければ理解できないし、わからないだろう。それが当然。
若い頃、友達と訪れた東照宮の、ある一ヶ所で撮った写真だけが、どう考えても不思議としか思えないようなものだった時も「ほら、、あるんだよー」と、心の中でまた叫んだ。最も、この時は、友達の方がその写真に驚き、あっという間にお寺さまに持参し、拝んでいただき焼いて頂いたのだが。
他にもいくつかあるけれど、blogに書く主題が、その事ばかりになるのは避けたい。ささやかではあるけれど、楽しいこと、ステキなこと、愉快なこと、幸せなこと、が世の中にはゴマンと溢れている。その事もいっぱい書いていきたい。
何だか変な文になってきたぞ、まとまらない。
今、自分の生活の中で、一番興味あり、驚きを感じているのは、朝夕行での出来事だけれど、そして、その事を何よりも書きたいという気持ちが強いけれど、それだけにはならぬよう、、と言うことを伝えたかった。くどくてすみません😂。

行ながら、見つめながら、、

2016-02-01 07:59:40 | 人ひとり、、のお話
ネタ探しのため、と言うきっかけから始まった夜行であったが、今振り返るとこの夜行が、私のそれから、また、私の周りを、少しずつ少しずつ変えていった。もともとは、何度も書いているように、豆腐ウォーキングダイエットと言う事をしていて、歩く方向も杜とは真逆で、温泉街や、本屋さんなどを目指し歩いていたのだ。途中川があったり神社があったりと、それはそれで「夜版ちいさんぽ」てな感じで、だんだん歩く距離も延びて、、なのであったが、ある時、ふと「歩く方向は、、目的は、今のままでいいのかな❔」と言う疑問が心に生じてきた。それが、蔵王で偶然見つけた小さな祠と何か関係あるのかよくわからないけど、、関係なくはないと思う。とにかく、家の周辺には神社が三つ(少し離れたところも含めればもっと沢山ある。)もあるのだから、歩くなら、賑やかな所ではなく、静かな杜の方が心身にすごくいいんじゃないかな、と思った。その頃は、職場で小さいけど辛い事があり、気持ちが疲れていたというのもある。で、、blogに書いていた豆腐ウォーキングダイエット、の記事が続行できなくなり、代わりに杜日記を書き始めた。そして、歩くのが目的だった「歩き」 をやめ、朝夜杜へ行き、様々なことをを考える事が目的になった。ある日、ふと「あるくって言う字は「歩く」しかないのかな」と考えてネットで検索してみたら、行きも、あるくの意味をなすことがわかった。そうかあ、、。修行って言葉もあるし、、。杜で色んな事を考えてる今、は、歩きじゃなく行に近い、、。で、初めのカテゴリーから、少しずつ変化して、朝夜行き、に落ち着いた。ところで、朝はいつから歩き始めたのだったかな、、。もともとパピがいた頃から朝夕歩いていたのだから、、。以前から、と言うことになるな。結局気づけば、朝夕行、どちらの目的も杜へ行くことに変わっていた。行きはじめて数日、いや、もう少しあとか、、杜は大変に美しく、異空間のような場所である事を実感するようになった。続けなければ、ではなく、続けたい、の気持ちが芽生えた。
、、豆腐ダイエットのために買った体重計や、goods、本、、が活躍の場を失い、寂しそうだ、、が、これらはいづれまた、出番が来るはずです(。-∀-)。