鳩山由紀夫氏の尖閣列島についての発言が話題を呼んでいるが、彼の主張するように、話し合いを拒否するべきでない」ことは事実である。鳩山氏の発言を頭から否定するのはいかがと思う。しかしいつものことだが、鳩山氏の発言はくるくる風見鶏どころか宇宙ゴマのように出会う相手によって変るしすぐに騙される。
だから私は鳩山事務所に「議員を辞任するといって撤回するより、OBサミットで活躍した福田元総理の例もあるから、夫婦二人とも小泉首相と違って本当に英語が出来るんだから、特に婦人の英語はネイティブに近いから、二人で民間親善大使として財団を作って友愛外交の活動したらどうか?」と、薦めたこともあった。
しかし鳩山氏がポツダム宣言やカイロ宣言まで戻るなら、沖縄は日本ではなくなる可能性も覚悟しての発言か?そうならまず中国の言い分より、沖縄の県民全体の意思を聞いてからであるべきだ。鳩山氏の周辺で積極的に働きかけている人たちは、県民の総意を体現しているか?日本県民でいるか?独立なのか?中国への帰属か?中華民国への帰属か?を果たして県民が選択したいと今思っているのか?是非秘書さんたちがお人よしの宇宙ゴマである鳩山氏をホローしてほしいと思う。
「ポツダム宣言とカイロ条約」とはまったく別な視点から「日本固有の領土」といえないことを前回の「資源が中国側からでも吸い取られる」ことにに続いて、タイトルの歴史的事実について書いておきたいと思う。これは日本国の外交が、つい先日「武力紛争も辞さない話し合い拒否路線から変った」ことを喜ぶという趣旨である。
先日たまたま放送大学の講義をテレビで見ていて、近松門左衛門の『国性爺合戦』というのは、「大陸中国の漢民族が台湾を統治したいきさつについての実話」を基にした話であると知った。子どもの時から「国性爺合戦」ってなんだろう?と思っていたので、大変興味深くテレビを見た。尖閣問題についての私の見方が誤っていたことを気づかせてくれてよかったと思う。
『国性爺合戦』は、中国が明から清に変わるときの話である。鄭成功という明の高官の子どもが台湾からオランダ東インド会社を追い払って台湾を統治したのだそうだ。この人物が明の高官と日本人の妻との間に出来た子どもで、明の復活の為に清を攻撃したいと長崎に来て、徳川政権に協力を求めたそうである。その頃日本は鎖国に向かっていたので協力しなかった。鄭成功は清と戦って破れその後は台湾は清のものになった。これが漢民族による台湾統治の初まりだった。この事実を知っていたら中国漁船と海上自衛隊との衝突時に別の言い方をしたと思う。
弁解するのではないが、作者と作品の名前さえ覚えればいいという日本の基礎教育の欠陥である。こんな面白い話を、どうして教師は「国性爺合戦ー近松門左衛門」という棒暗記だけさせるのか!コアカリキュラムに戻せ!である。
当時私は「中国の言い分である文字や地図の記録があることや大陸棚を根拠とすると、沖縄も日本も中国のものになる。先方は紀元前2000年頃から文字を持っているが、わが国は飛鳥時代から中国の文字を朝鮮経由でまねたのであって、それ以前の記録がない。文字記録の有無で争ったら、三蔵法師が通ったシルククロードの文字を持たない少数民族の土地は皆中国のものになってしまう。沖縄も日本列島も中国の大陸棚といえるので、中国の論理を認めると、中国と経済統合でもしたら、今に沖縄も日本も中国の一部になってわれわれは中国人になってしまう可能性がある。現在の中国はアムネスティによると人口比で日本の十倍以上死刑が執行されているらしい。」「それより現在の人民中国成立期において、尖閣を日本の領土と認めて地図にも表記していた事実を前面に出したほうがいい。尖閣列島の併合時期や竹島の併合時期を根拠にして、『国際的に文句がなかったと』主張しても、日本に対して『清や朝鮮が文句をいえない侵略戦争期にやった併合だ』と海外から思われるだろう。」
「尖閣列島の位置は沖縄と台湾双方から同じくらいである。黒潮や親潮の流れを考えたら、台湾の人たちがずっと漁場としていたことは嘘でないし、動力船のない時代なら、海流に沿った台湾からのほうが沖縄から同距離だとしてもたどり着きやすいと思う。台湾は少なくとも入会漁業権をもっているといっていいから話し合うべきだ。」といろいろなところにいって、海上保安庁の強硬方針を支持したのだった。自衛隊の軍事衝突や尖閣の軍事基地化を支持したのではない。
私が尖閣に口出しした理由は、日本国が性急過ぎるヨーロッパ共同体のまねをしようとしている当時の流れを止めるためだった。
名画『カサブランカ』は、アメリカがヨーロッパ戦線で戦うことに対して国民の支持を得るために作られたプロパガンダ映画でもある。フランスから亡命の為にカサブランカを経由してアメリカに行く反ファシズム闘士の妻と、ハンフリー・ボガードが再会する話である。
反ファシズム闘士のモデルがカレルギーで、ヨーロッパ共同体の提案者だという説を、97年、国連加盟やソビエトとの国交回復や日本住宅公団の創設と並ぶ鳩山一郎の功績の一つとして、著書の『自由と人生』を一郎が翻訳し「友愛」はそのスローガンであると鳩山由紀夫氏らへの手紙で紹介したのがそもそものきっかけである。それまで鳩山氏らはユーロ発足も知らなかったと思われる。
1992年のマーストリヒト条約と各国の国民投票でユーロ発足が確実になった時に、わざわざ暴落するドルを95年7月7日からの「1ドル79円を1ドル120円になるまで、金利0.5%に下げて一方的な円安を目指してドル国債を買う」わけのわからないドル買い支えをした人たちが、「ユーロが発足したから自分たちも即お札を作って共同体ができると考えている」ならとんでもないことだった。
今でも「ユーロを崩壊させてもとの自由な通貨市場に戻したら、ドル暴落の心配がなくなる」と考えている人たちがいるだろうし、ポンドがユーロに入ることを阻止するために、92年イギリスでは保守党の首相をポンド危機に追い込んで辞任させた。
ユーロが順調だったのは、99年1月の銀行取引開始後10年、お札が流通した2002年からでは7年でしかない。リーマンショック以後ずっとユーロ危機が続いているのである。
92年に通貨を共通化することが決まるまでに、第一次世界大戦から第二次世界大戦、戦後は政府間で51年にヨーロッパの鉄鋼と石炭で共同歩調をとったことが共同体の始まりであった。以後ユーロ発足まで50年近い準備期間を経て通貨統合を始めたが、通貨発行から10年たたないうちに人工的通貨の危機が始まったのが現状である。
それなのに日本が買い支えて無理やり一貫してユーロ高にすることがおかしくないか?
ところが日本では、1996年に見当違いで売国の金融ビックバンを提唱して、99年のユーロ発足さえ知らなかった財務官周辺の人たち(以前のブログを参照のこと)が、突然中国やモンゴルや朝鮮と共同体を組んで、お札から先に流通させようと目論む動きが見られた。欧州通貨統合は国民投票を経ていることを知っていたのか?
ロシア人はアジア人の範疇に自分たちを置くとは思えない。実質中国と周辺の漢文化の国の経済統合になりかねない。
ユーロ発足さえ知らなかった人たちが揚げている○○共同体は、戦時中の「八紘一宇」の範囲であって、財務官やアジア開銀総裁や中国派の人々が、中国に日本が資本を出して工場をどんどん作って自分たちは持ち株会社として中国の株式市場に投資にすれば中国を支配できると思っていたのではないか?!
そんな考えは新植民地主義である。これを誰がどこの政党が主張してきたかは違憲の広義の公職選挙法に反する可能性があるので書かない。ユーロの場合は、突出して人口が多い国もなければ経済レベルや生活レベルの平準化している中での経済統合だった。
当時性急に日本がやろうとしていた統合は、中国一国の人口に対して共同体参加予定の国を全部合わせても、1/4か1/3の人口でしかない。
先方が8,90年かけてなら、こっちは百年かかってもおかしくないほどの格差がある。「中華」の国といびつな経済統合すべきでない。○○共同体を当時外交の軸にしようとしていることが、どう考えても中国支配の属国に自ら突き進んでいるとしか思えなかったので、尖閣問題を利用して共同体構想をゆっくり再検討するようにしむけたのである。
どういう経済体制であるべきか?私は日本が経済が強いうちは「日本から中国からトルコにいたる緩やかなシルクロード」や「APEC]を基盤に「ガット」体制を守り、FTAもTPPも不要で、世界のどことでも双方の国の状況を理解しながら自由貿易を守る方針で行くべきだと主張したのだった。
だから私は鳩山事務所に「議員を辞任するといって撤回するより、OBサミットで活躍した福田元総理の例もあるから、夫婦二人とも小泉首相と違って本当に英語が出来るんだから、特に婦人の英語はネイティブに近いから、二人で民間親善大使として財団を作って友愛外交の活動したらどうか?」と、薦めたこともあった。
しかし鳩山氏がポツダム宣言やカイロ宣言まで戻るなら、沖縄は日本ではなくなる可能性も覚悟しての発言か?そうならまず中国の言い分より、沖縄の県民全体の意思を聞いてからであるべきだ。鳩山氏の周辺で積極的に働きかけている人たちは、県民の総意を体現しているか?日本県民でいるか?独立なのか?中国への帰属か?中華民国への帰属か?を果たして県民が選択したいと今思っているのか?是非秘書さんたちがお人よしの宇宙ゴマである鳩山氏をホローしてほしいと思う。
「ポツダム宣言とカイロ条約」とはまったく別な視点から「日本固有の領土」といえないことを前回の「資源が中国側からでも吸い取られる」ことにに続いて、タイトルの歴史的事実について書いておきたいと思う。これは日本国の外交が、つい先日「武力紛争も辞さない話し合い拒否路線から変った」ことを喜ぶという趣旨である。
先日たまたま放送大学の講義をテレビで見ていて、近松門左衛門の『国性爺合戦』というのは、「大陸中国の漢民族が台湾を統治したいきさつについての実話」を基にした話であると知った。子どもの時から「国性爺合戦」ってなんだろう?と思っていたので、大変興味深くテレビを見た。尖閣問題についての私の見方が誤っていたことを気づかせてくれてよかったと思う。
『国性爺合戦』は、中国が明から清に変わるときの話である。鄭成功という明の高官の子どもが台湾からオランダ東インド会社を追い払って台湾を統治したのだそうだ。この人物が明の高官と日本人の妻との間に出来た子どもで、明の復活の為に清を攻撃したいと長崎に来て、徳川政権に協力を求めたそうである。その頃日本は鎖国に向かっていたので協力しなかった。鄭成功は清と戦って破れその後は台湾は清のものになった。これが漢民族による台湾統治の初まりだった。この事実を知っていたら中国漁船と海上自衛隊との衝突時に別の言い方をしたと思う。
弁解するのではないが、作者と作品の名前さえ覚えればいいという日本の基礎教育の欠陥である。こんな面白い話を、どうして教師は「国性爺合戦ー近松門左衛門」という棒暗記だけさせるのか!コアカリキュラムに戻せ!である。
当時私は「中国の言い分である文字や地図の記録があることや大陸棚を根拠とすると、沖縄も日本も中国のものになる。先方は紀元前2000年頃から文字を持っているが、わが国は飛鳥時代から中国の文字を朝鮮経由でまねたのであって、それ以前の記録がない。文字記録の有無で争ったら、三蔵法師が通ったシルククロードの文字を持たない少数民族の土地は皆中国のものになってしまう。沖縄も日本列島も中国の大陸棚といえるので、中国の論理を認めると、中国と経済統合でもしたら、今に沖縄も日本も中国の一部になってわれわれは中国人になってしまう可能性がある。現在の中国はアムネスティによると人口比で日本の十倍以上死刑が執行されているらしい。」「それより現在の人民中国成立期において、尖閣を日本の領土と認めて地図にも表記していた事実を前面に出したほうがいい。尖閣列島の併合時期や竹島の併合時期を根拠にして、『国際的に文句がなかったと』主張しても、日本に対して『清や朝鮮が文句をいえない侵略戦争期にやった併合だ』と海外から思われるだろう。」
「尖閣列島の位置は沖縄と台湾双方から同じくらいである。黒潮や親潮の流れを考えたら、台湾の人たちがずっと漁場としていたことは嘘でないし、動力船のない時代なら、海流に沿った台湾からのほうが沖縄から同距離だとしてもたどり着きやすいと思う。台湾は少なくとも入会漁業権をもっているといっていいから話し合うべきだ。」といろいろなところにいって、海上保安庁の強硬方針を支持したのだった。自衛隊の軍事衝突や尖閣の軍事基地化を支持したのではない。
私が尖閣に口出しした理由は、日本国が性急過ぎるヨーロッパ共同体のまねをしようとしている当時の流れを止めるためだった。
名画『カサブランカ』は、アメリカがヨーロッパ戦線で戦うことに対して国民の支持を得るために作られたプロパガンダ映画でもある。フランスから亡命の為にカサブランカを経由してアメリカに行く反ファシズム闘士の妻と、ハンフリー・ボガードが再会する話である。
反ファシズム闘士のモデルがカレルギーで、ヨーロッパ共同体の提案者だという説を、97年、国連加盟やソビエトとの国交回復や日本住宅公団の創設と並ぶ鳩山一郎の功績の一つとして、著書の『自由と人生』を一郎が翻訳し「友愛」はそのスローガンであると鳩山由紀夫氏らへの手紙で紹介したのがそもそものきっかけである。それまで鳩山氏らはユーロ発足も知らなかったと思われる。
1992年のマーストリヒト条約と各国の国民投票でユーロ発足が確実になった時に、わざわざ暴落するドルを95年7月7日からの「1ドル79円を1ドル120円になるまで、金利0.5%に下げて一方的な円安を目指してドル国債を買う」わけのわからないドル買い支えをした人たちが、「ユーロが発足したから自分たちも即お札を作って共同体ができると考えている」ならとんでもないことだった。
今でも「ユーロを崩壊させてもとの自由な通貨市場に戻したら、ドル暴落の心配がなくなる」と考えている人たちがいるだろうし、ポンドがユーロに入ることを阻止するために、92年イギリスでは保守党の首相をポンド危機に追い込んで辞任させた。
ユーロが順調だったのは、99年1月の銀行取引開始後10年、お札が流通した2002年からでは7年でしかない。リーマンショック以後ずっとユーロ危機が続いているのである。
92年に通貨を共通化することが決まるまでに、第一次世界大戦から第二次世界大戦、戦後は政府間で51年にヨーロッパの鉄鋼と石炭で共同歩調をとったことが共同体の始まりであった。以後ユーロ発足まで50年近い準備期間を経て通貨統合を始めたが、通貨発行から10年たたないうちに人工的通貨の危機が始まったのが現状である。
それなのに日本が買い支えて無理やり一貫してユーロ高にすることがおかしくないか?
ところが日本では、1996年に見当違いで売国の金融ビックバンを提唱して、99年のユーロ発足さえ知らなかった財務官周辺の人たち(以前のブログを参照のこと)が、突然中国やモンゴルや朝鮮と共同体を組んで、お札から先に流通させようと目論む動きが見られた。欧州通貨統合は国民投票を経ていることを知っていたのか?
ロシア人はアジア人の範疇に自分たちを置くとは思えない。実質中国と周辺の漢文化の国の経済統合になりかねない。
ユーロ発足さえ知らなかった人たちが揚げている○○共同体は、戦時中の「八紘一宇」の範囲であって、財務官やアジア開銀総裁や中国派の人々が、中国に日本が資本を出して工場をどんどん作って自分たちは持ち株会社として中国の株式市場に投資にすれば中国を支配できると思っていたのではないか?!
そんな考えは新植民地主義である。これを誰がどこの政党が主張してきたかは違憲の広義の公職選挙法に反する可能性があるので書かない。ユーロの場合は、突出して人口が多い国もなければ経済レベルや生活レベルの平準化している中での経済統合だった。
当時性急に日本がやろうとしていた統合は、中国一国の人口に対して共同体参加予定の国を全部合わせても、1/4か1/3の人口でしかない。
先方が8,90年かけてなら、こっちは百年かかってもおかしくないほどの格差がある。「中華」の国といびつな経済統合すべきでない。○○共同体を当時外交の軸にしようとしていることが、どう考えても中国支配の属国に自ら突き進んでいるとしか思えなかったので、尖閣問題を利用して共同体構想をゆっくり再検討するようにしむけたのである。
どういう経済体制であるべきか?私は日本が経済が強いうちは「日本から中国からトルコにいたる緩やかなシルクロード」や「APEC]を基盤に「ガット」体制を守り、FTAもTPPも不要で、世界のどことでも双方の国の状況を理解しながら自由貿易を守る方針で行くべきだと主張したのだった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます