〇シミックの『コーネルの箱』
という本は、小田原の小さな古書店にあった。ジョゼフ・コーネルが、1936年のダダ・シュルレアリスム展で自作のコラージュ映画を公開した時に、サルバドール・ダリに「お前は俺の頭の中のアイディアを盗んだ」と激怒されたというエピソードを、訳者の柴田元幸が紹介しているが、ダリという人は、そういうばかげたことを平気で思って行動に移してしまう人物だった。そのむかし、詩人の村野四郎がダリ展を見て「ペンキ絵だ」と毒づいた文章を書いたことがあった。
話はかわって、先日京都の美術館で横尾忠則の大きな絵を一枚見て来たが、簡潔に言うと私はダリよりも横尾忠則の方が画家としてはすぐれていると思う。横尾忠則の展覧会があったら見てみたいものだ。その方が日本の文化のためになる。戦後一貫して日本人はダリの絵を消化し続けて、乗り越えてしまったのではないだろうか。日本ではむしろ漫画や劇画のなかにダリは消化されているように思う。
ダリの持っている要素を純化すると、ロベルト・マッタの絵みたいになる。私はそっちの方が具象としては好きなので、ダリのわかりやすい具象は飽き足らない。
コーネルの展覧会が鎌倉の近代美術館で開かれたことがあって、今でもなつかしい。本当にいい展覧会をする美術館だった。考えてみれば、ロベルト・マッタを見たのも鎌倉だった。
コーネルの作品については、高橋睦郎さんにとてもいい詩があった。コーネルというと、高橋さんの詩を思い出す。
という本は、小田原の小さな古書店にあった。ジョゼフ・コーネルが、1936年のダダ・シュルレアリスム展で自作のコラージュ映画を公開した時に、サルバドール・ダリに「お前は俺の頭の中のアイディアを盗んだ」と激怒されたというエピソードを、訳者の柴田元幸が紹介しているが、ダリという人は、そういうばかげたことを平気で思って行動に移してしまう人物だった。そのむかし、詩人の村野四郎がダリ展を見て「ペンキ絵だ」と毒づいた文章を書いたことがあった。
話はかわって、先日京都の美術館で横尾忠則の大きな絵を一枚見て来たが、簡潔に言うと私はダリよりも横尾忠則の方が画家としてはすぐれていると思う。横尾忠則の展覧会があったら見てみたいものだ。その方が日本の文化のためになる。戦後一貫して日本人はダリの絵を消化し続けて、乗り越えてしまったのではないだろうか。日本ではむしろ漫画や劇画のなかにダリは消化されているように思う。
ダリの持っている要素を純化すると、ロベルト・マッタの絵みたいになる。私はそっちの方が具象としては好きなので、ダリのわかりやすい具象は飽き足らない。
コーネルの展覧会が鎌倉の近代美術館で開かれたことがあって、今でもなつかしい。本当にいい展覧会をする美術館だった。考えてみれば、ロベルト・マッタを見たのも鎌倉だった。
コーネルの作品については、高橋睦郎さんにとてもいい詩があった。コーネルというと、高橋さんの詩を思い出す。