※ひとつ番号が重複してしまったので、翌日に直した。
118
住む人の袖のひとつにくちにけり草のいほりのさみだれのころ
一六八 すむ人の袖もひとつに朽(くち)にけり草の庵(いほり)のさみだれの比(ころ) 文政五年
□わびしい草庵ずみの人なり。草の庵の朽つるのみならず、人の袖もくつるとなり。わびしい形容なり。
「朽つる」は、ぬれることをくちるともいふ也。きびしくぬ(濡)るなり。「朽果」といへば、くさり-なくなる也。なくなるを「朽る」といふが、もとなれども、「ぬれる」といふことを「朽る」といへば、胸がもえるといふも、燃る迄をいふ也。「ほさぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそをしけれ」。ぬれることのつよき也。「庵」、いほなり。「いほり」は、「庵入」なり。庵に居るなり。やど、やどり、宿入なり。これで段々転じて来るなり。その転ずる時は、「り」の字は、らりるれろ通して、ものに入りてしまふこゑになるなり。それ故「いほり」で「庵」の事になるやうになる也。
○わびしい草庵ずみの人だ。草の庵が朽ちるのみならず、人の袖もくちるというのである。わびしいことの形容である。
「朽つる」は、濡れることを「くちる」ともいう。きびしく濡れるのである。「朽ち果つ」というと、くさってなくなることだ。なくなることを「朽る」といったのが、もとであるけれども、「ぬれる」ということを「朽る」というと、胸がもえるというのも、燃える迄をいうのである。「(相模の歌、うらみわび)ほさぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそをしけれ」。(この歌の「くちなん」は)濡れることが強い(様子を言う)のである。「庵」は、「いほ」だ。「いほり」は、「庵入」だ。庵に居るのである。「やど」だと、「やどり」は、「宿入」だ。これで段々転じて来るのである。その転ずる時は、「り」の字は、「らりるれろ」どれも、ものに入ってしまう声になるのである。それだから「いほり」で「庵」の事になるようになるのだ。
※二句目、「袖の」「袖も」ちがいあり。
※「うらみわびほさぬそでだにあるものをこひにくちなんなこそをしけれ」「後拾遺和歌集」八一四 相模。
119 五月雨欲晴
さみだれの雲間に見ゆる夏山はやがてもそらのみどりなりけり
一六九 五月雨の雲間にみゆる夏山はやがても空のみどりなりけり
□欲の字、もと「ほる」、「ほれ」。物に深入するなり。得たきものじや、と云ふ所へなるなり。もとは、きよろりとする事なり。「ほりす」を「ほつす」と音便で云ふ也。日本では此の「欲晴」の字は、「す」ばかりに仕ふ也。「はれんす」とよむべし。さみだれに雲間はなきもの也。その雲を空と見るは、ちらりと間がある故なり。その間に見ゆる夏山の緑と思ひたるが、やがてすぐに空のみどりぢやとなり。
○欲の字は、もとは「ほる」、「ほれ」。物に深入りすることだ。得たいものじゃ、と言う所へなるのである。もとは、きょろりとする事だ。「ほりす」を「ほっす」と音便で言う。日本ではこの「欲晴」の字は、「す」ばかりに使う。「はれん(と)す」と読むべきだ。さみだれに雲間などないものだ。その雲を「空」と見るのは、ちらりと間があるせいである。その間に見える夏山の青と思われたものが、そのまますぐに空の青色だ、というのである。
※ここで言う「みどり」は古代みどりである。「常盤山松のみどりも久方の空の色とやかはらざるなん」契冲。こちらもよい。
※この歌、なかなかの佳吟。空が出て来る景樹の歌は概していいものが多いが、色彩語の使い方が印象的である。
120 五月雨晴
三芳野のたぎつ河内はさみだれのはれて後こそおとまさりくれ
一七〇 みよしのの瀧(たぎ)つ河内(かふち)はさみだれの晴てのちこそ音まさりけれ
□いづくも瀧のあるところの河内を云ふべけれども、吉野に限りて云ふなり。
○どこ(の場所で)も、瀧がある河内(川の深い淵の意)ということを言ってよさそうなものだけれど、吉野に限って言うのだ。
※結句、「まさりけれ」「まさりくれ」ちがいあり。「まさりくれ」は活字起こしの際の誤記だろう。変体仮名の「け」が「く」に見えることはある。この歌は、単純な内容だけれども、下句に実感がこもるところがあり、悪くない。初夏の気配を伝える清爽な歌。万葉調でもあるので、隣の歌と同じく享和年中の作か。
121 夏雲
大空のみどりになびく白くものまがはぬ夏になりにけるかな
一七一 おほぞらのみどりに靡(なび)く白雲のまがはぬ夏に成(なり)にけるかな
享和三年 青雲ニ白雲マジリ大空ノハレタル見レバ夏ニハナリヌ 文化十三年改作
□緑の空に、白雲がすいすいと竹箒でたはいたやうになびく雲がみえる四月の気色なり。緑に白きは、「まがはぬ」枕かたがた出す。
○緑の空に、白雲がすいすいと、竹箒で手(た)掃いたように、なびく雲がみえる四月の景色である。「緑に白き」は、「まがはぬ」の枕として出す。
122 夏山
ふる雪にうづもれながら五月雨のくもまをいづるこしの白(高)山
(「白山」の字の横に「高」とあり。弥冨が誤記と認めて訂した。)
一七二 降雪にうづもれながらさみだれの雲間を出(いづ)るこしの高山
□越の白山でもよからん、と云ひたる人もあれども、上に降雪と云ひたる故、白はいひともなきなり。
○越の白山でもよいだろう、と言った人もあるけれども、上に「降雪」と言っているので、「白」とは言いたくないのである。
※だから絶対に「高山」でなくてはならない。たぶん実景だろう。
123
水無月のそらにかさなる白雲の上に奇しきみねはふじのね
一七三 六月(みなづき)の空にかさなるしら雲の上に奇(あや)しき峯はふじのね 文政四年 二句目 大空ニタツ
□「夏雲多奇峰」をよむなり。「かさなる」は、多き所なり。
此かさなるは、奇しき白雲なるに、其上に、も一つ奇しき峯はふじと也。
○「夏雲多奇峰」(という題)を詠んだ。「かさなる」は、(雲が)多い所だ。この「かさなる」のは、めづらかな白雲であるのに、その上に、もう一つめずらしい峯は富士だというのである。
124 夏衣
なれがたく夏のころもや思ふらん人のこころはうらもこそあれ
一七四 なれがたく夏の衣やおもふらむ人のこころはうらも社(こそ)あれ
文化二年
□もと更衣のうた也。更衣に少しうときやうなる故ここに出す。夏衣はうらのなき単衣なれば、人のかたを衣やなれがたく思ふなるべし、となり。もこそ、もぞ、は一つ格ある也。ゆるめる詞なり。よわりもぞする、などつかふなり。うたがはしてまだ手にとらぬ所と云ふ程の所につかふなり。うらはあるにちがふ事はないが、ありもこそすれ、となり。
○もともとは更衣のうただ。(聴講者が)更衣に少しうといようだから、ここに出す。夏衣は裏地のない単衣だから、(心のうらがある)人間を衣の方がなれがたく思っているだろうよ、というのである。もこそ、もぞ、は一つ格がある(言葉)だ。ゆるめる詞である。「よわりもぞする」などと使う。歌を交わして、まだ手にとらない所というほどの場所に使うのである。裏(本心、誠意)があるのに違いはないが、(そこをあえて)「ありもこそすれ」というのである。
125 水鶏
卯の花のかきね見えゆくあけぼのにそことも知らずくひな鳴なり
一七五 卯花の墻(かき)ね見えゆく曙(あけぼの)にそこともしらず水鶏(くひな)なくなり 文化二年 四句目 そこと定メず
□ほのぼのと夜あけて、卯の花が見えるほどの時にどことも知られず、夏になつたわい、くひながなくと也。はかなき云ひかたを二つ合せて云ひたるなり。
○ほのぼのと夜があけて、卯の花が見えるほどの時間にどことも知られず、夏になったわい、クイナが鳴くことだというのである。はかない言いかたを二つ合せて言ったのである。
126 夏月
とけてねぬ子持がらすの一こゑにやがてあけゆく月のかげかな
一七六 とけてねぬ子もち烏の一声にやがて明行(あけゆく)月のかげかな 文化十二年 三句目 宵鳴にを訂す
□五月雨に烏、子をうむ也。烏は夜半に一こゑ発するものなり。烏のくせ也。子持烏のならひ也。「万葉」に「子持烏の」とあり。一声に子故に鳴きたる一こゑじゃ。夜明のためではなきが、短夜故、それが直に夜明のためになつたと也。
○五月雨(の時期)に烏は、子をうむ。烏は夜半に一声発する(習性がある)ものだ。烏のくせだ。子持烏のならいである。「万葉」に「子持烏の」とある。「一声に」、子故に鳴いた一声だ。夜明のためではないが、短夜だから、それがただちに夜明のために(鳴いたのと同じことに)なったというのである。
127
夏ふかみ木がくれ多き山ざとの月のひかりはふけてなりけり
一七七 夏深み木がくれおほき山ざとの月の光はふけてなりけり 文化三年
□夏ふかき故に木がくれが多きなり。さて此の句、月にかかつて出づるなり。なつのよの月は、白きなり。白き色は、空にあり。下は木がくれ多きなり。夏のみどりのしげり多き故にくらきとなり。山里でなくてもよけれども、此れは実景なり。黒谷の山中にて、夜よみたる時の歌なり。「月の光はふけてなりけり」と云ふ詞の使ひ方はなき也。「あかぬ色香は折りてなりけり」と云ふが、うらやましさに此の下句をよみたり。「木がくれ多し」は「後撰」にあり。
○夏ふかいために木隠れが多いのだ。さてこの句、月にかかって出たのである。夏の夜の月は、白い。白い色が空にある。下は木隠れが多いのだ。夏のみどりの茂りが多いために暗いというのである。山里でなくてもかまわないけれども、これは実景である。黒谷の山中で、夜(吟行して)詠んだ時の歌だ。「月の光はふけてなりけり」という詞の使い方は、ないものだ。「あかぬ色香は折りてなりけり」というが、うらやましさにこの下句を詠んだ。「木がくれ多し」は「後撰」にある。
※ 「春くれば木がくれおほきゆふづくよおぼつかなしもはなかげにして」「後撰集」を踏まえる。結句の語法、参考までに「よそにのみあはれとぞみし梅花あかぬ色香は折りて成けり」「古今集」素性。
118
住む人の袖のひとつにくちにけり草のいほりのさみだれのころ
一六八 すむ人の袖もひとつに朽(くち)にけり草の庵(いほり)のさみだれの比(ころ) 文政五年
□わびしい草庵ずみの人なり。草の庵の朽つるのみならず、人の袖もくつるとなり。わびしい形容なり。
「朽つる」は、ぬれることをくちるともいふ也。きびしくぬ(濡)るなり。「朽果」といへば、くさり-なくなる也。なくなるを「朽る」といふが、もとなれども、「ぬれる」といふことを「朽る」といへば、胸がもえるといふも、燃る迄をいふ也。「ほさぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそをしけれ」。ぬれることのつよき也。「庵」、いほなり。「いほり」は、「庵入」なり。庵に居るなり。やど、やどり、宿入なり。これで段々転じて来るなり。その転ずる時は、「り」の字は、らりるれろ通して、ものに入りてしまふこゑになるなり。それ故「いほり」で「庵」の事になるやうになる也。
○わびしい草庵ずみの人だ。草の庵が朽ちるのみならず、人の袖もくちるというのである。わびしいことの形容である。
「朽つる」は、濡れることを「くちる」ともいう。きびしく濡れるのである。「朽ち果つ」というと、くさってなくなることだ。なくなることを「朽る」といったのが、もとであるけれども、「ぬれる」ということを「朽る」というと、胸がもえるというのも、燃える迄をいうのである。「(相模の歌、うらみわび)ほさぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそをしけれ」。(この歌の「くちなん」は)濡れることが強い(様子を言う)のである。「庵」は、「いほ」だ。「いほり」は、「庵入」だ。庵に居るのである。「やど」だと、「やどり」は、「宿入」だ。これで段々転じて来るのである。その転ずる時は、「り」の字は、「らりるれろ」どれも、ものに入ってしまう声になるのである。それだから「いほり」で「庵」の事になるようになるのだ。
※二句目、「袖の」「袖も」ちがいあり。
※「うらみわびほさぬそでだにあるものをこひにくちなんなこそをしけれ」「後拾遺和歌集」八一四 相模。
119 五月雨欲晴
さみだれの雲間に見ゆる夏山はやがてもそらのみどりなりけり
一六九 五月雨の雲間にみゆる夏山はやがても空のみどりなりけり
□欲の字、もと「ほる」、「ほれ」。物に深入するなり。得たきものじや、と云ふ所へなるなり。もとは、きよろりとする事なり。「ほりす」を「ほつす」と音便で云ふ也。日本では此の「欲晴」の字は、「す」ばかりに仕ふ也。「はれんす」とよむべし。さみだれに雲間はなきもの也。その雲を空と見るは、ちらりと間がある故なり。その間に見ゆる夏山の緑と思ひたるが、やがてすぐに空のみどりぢやとなり。
○欲の字は、もとは「ほる」、「ほれ」。物に深入りすることだ。得たいものじゃ、と言う所へなるのである。もとは、きょろりとする事だ。「ほりす」を「ほっす」と音便で言う。日本ではこの「欲晴」の字は、「す」ばかりに使う。「はれん(と)す」と読むべきだ。さみだれに雲間などないものだ。その雲を「空」と見るのは、ちらりと間があるせいである。その間に見える夏山の青と思われたものが、そのまますぐに空の青色だ、というのである。
※ここで言う「みどり」は古代みどりである。「常盤山松のみどりも久方の空の色とやかはらざるなん」契冲。こちらもよい。
※この歌、なかなかの佳吟。空が出て来る景樹の歌は概していいものが多いが、色彩語の使い方が印象的である。
120 五月雨晴
三芳野のたぎつ河内はさみだれのはれて後こそおとまさりくれ
一七〇 みよしのの瀧(たぎ)つ河内(かふち)はさみだれの晴てのちこそ音まさりけれ
□いづくも瀧のあるところの河内を云ふべけれども、吉野に限りて云ふなり。
○どこ(の場所で)も、瀧がある河内(川の深い淵の意)ということを言ってよさそうなものだけれど、吉野に限って言うのだ。
※結句、「まさりけれ」「まさりくれ」ちがいあり。「まさりくれ」は活字起こしの際の誤記だろう。変体仮名の「け」が「く」に見えることはある。この歌は、単純な内容だけれども、下句に実感がこもるところがあり、悪くない。初夏の気配を伝える清爽な歌。万葉調でもあるので、隣の歌と同じく享和年中の作か。
121 夏雲
大空のみどりになびく白くものまがはぬ夏になりにけるかな
一七一 おほぞらのみどりに靡(なび)く白雲のまがはぬ夏に成(なり)にけるかな
享和三年 青雲ニ白雲マジリ大空ノハレタル見レバ夏ニハナリヌ 文化十三年改作
□緑の空に、白雲がすいすいと竹箒でたはいたやうになびく雲がみえる四月の気色なり。緑に白きは、「まがはぬ」枕かたがた出す。
○緑の空に、白雲がすいすいと、竹箒で手(た)掃いたように、なびく雲がみえる四月の景色である。「緑に白き」は、「まがはぬ」の枕として出す。
122 夏山
ふる雪にうづもれながら五月雨のくもまをいづるこしの白(高)山
(「白山」の字の横に「高」とあり。弥冨が誤記と認めて訂した。)
一七二 降雪にうづもれながらさみだれの雲間を出(いづ)るこしの高山
□越の白山でもよからん、と云ひたる人もあれども、上に降雪と云ひたる故、白はいひともなきなり。
○越の白山でもよいだろう、と言った人もあるけれども、上に「降雪」と言っているので、「白」とは言いたくないのである。
※だから絶対に「高山」でなくてはならない。たぶん実景だろう。
123
水無月のそらにかさなる白雲の上に奇しきみねはふじのね
一七三 六月(みなづき)の空にかさなるしら雲の上に奇(あや)しき峯はふじのね 文政四年 二句目 大空ニタツ
□「夏雲多奇峰」をよむなり。「かさなる」は、多き所なり。
此かさなるは、奇しき白雲なるに、其上に、も一つ奇しき峯はふじと也。
○「夏雲多奇峰」(という題)を詠んだ。「かさなる」は、(雲が)多い所だ。この「かさなる」のは、めづらかな白雲であるのに、その上に、もう一つめずらしい峯は富士だというのである。
124 夏衣
なれがたく夏のころもや思ふらん人のこころはうらもこそあれ
一七四 なれがたく夏の衣やおもふらむ人のこころはうらも社(こそ)あれ
文化二年
□もと更衣のうた也。更衣に少しうときやうなる故ここに出す。夏衣はうらのなき単衣なれば、人のかたを衣やなれがたく思ふなるべし、となり。もこそ、もぞ、は一つ格ある也。ゆるめる詞なり。よわりもぞする、などつかふなり。うたがはしてまだ手にとらぬ所と云ふ程の所につかふなり。うらはあるにちがふ事はないが、ありもこそすれ、となり。
○もともとは更衣のうただ。(聴講者が)更衣に少しうといようだから、ここに出す。夏衣は裏地のない単衣だから、(心のうらがある)人間を衣の方がなれがたく思っているだろうよ、というのである。もこそ、もぞ、は一つ格がある(言葉)だ。ゆるめる詞である。「よわりもぞする」などと使う。歌を交わして、まだ手にとらない所というほどの場所に使うのである。裏(本心、誠意)があるのに違いはないが、(そこをあえて)「ありもこそすれ」というのである。
125 水鶏
卯の花のかきね見えゆくあけぼのにそことも知らずくひな鳴なり
一七五 卯花の墻(かき)ね見えゆく曙(あけぼの)にそこともしらず水鶏(くひな)なくなり 文化二年 四句目 そこと定メず
□ほのぼのと夜あけて、卯の花が見えるほどの時にどことも知られず、夏になつたわい、くひながなくと也。はかなき云ひかたを二つ合せて云ひたるなり。
○ほのぼのと夜があけて、卯の花が見えるほどの時間にどことも知られず、夏になったわい、クイナが鳴くことだというのである。はかない言いかたを二つ合せて言ったのである。
126 夏月
とけてねぬ子持がらすの一こゑにやがてあけゆく月のかげかな
一七六 とけてねぬ子もち烏の一声にやがて明行(あけゆく)月のかげかな 文化十二年 三句目 宵鳴にを訂す
□五月雨に烏、子をうむ也。烏は夜半に一こゑ発するものなり。烏のくせ也。子持烏のならひ也。「万葉」に「子持烏の」とあり。一声に子故に鳴きたる一こゑじゃ。夜明のためではなきが、短夜故、それが直に夜明のためになつたと也。
○五月雨(の時期)に烏は、子をうむ。烏は夜半に一声発する(習性がある)ものだ。烏のくせだ。子持烏のならいである。「万葉」に「子持烏の」とある。「一声に」、子故に鳴いた一声だ。夜明のためではないが、短夜だから、それがただちに夜明のために(鳴いたのと同じことに)なったというのである。
127
夏ふかみ木がくれ多き山ざとの月のひかりはふけてなりけり
一七七 夏深み木がくれおほき山ざとの月の光はふけてなりけり 文化三年
□夏ふかき故に木がくれが多きなり。さて此の句、月にかかつて出づるなり。なつのよの月は、白きなり。白き色は、空にあり。下は木がくれ多きなり。夏のみどりのしげり多き故にくらきとなり。山里でなくてもよけれども、此れは実景なり。黒谷の山中にて、夜よみたる時の歌なり。「月の光はふけてなりけり」と云ふ詞の使ひ方はなき也。「あかぬ色香は折りてなりけり」と云ふが、うらやましさに此の下句をよみたり。「木がくれ多し」は「後撰」にあり。
○夏ふかいために木隠れが多いのだ。さてこの句、月にかかって出たのである。夏の夜の月は、白い。白い色が空にある。下は木隠れが多いのだ。夏のみどりの茂りが多いために暗いというのである。山里でなくてもかまわないけれども、これは実景である。黒谷の山中で、夜(吟行して)詠んだ時の歌だ。「月の光はふけてなりけり」という詞の使い方は、ないものだ。「あかぬ色香は折りてなりけり」というが、うらやましさにこの下句を詠んだ。「木がくれ多し」は「後撰」にある。
※ 「春くれば木がくれおほきゆふづくよおぼつかなしもはなかげにして」「後撰集」を踏まえる。結句の語法、参考までに「よそにのみあはれとぞみし梅花あかぬ色香は折りて成けり」「古今集」素性。