雑感
2017年10月22日 | 本
雑感
〇この秋は先輩や知人の歌集の出版が相次いでいる。ところが、休日は私事に忙殺されて、なかなか文章を書く時間がとれなかった。私はツイッターはやらない。このブログの書き方だと、全部丁寧にコメントすることはむずかしい。なぜかというと、歌集だけ読んでいて批評文なんてものは書けないのである。いろいろなところに感覚を遊ばせておいて、自由な精神状態の時に感興に乗ってはじめて書けるのであって、義務感だけでこんなブログを続けられるものでもない。それはこのブログの読者の皆さんもわかっておられるようで、折々に顔見知りの方がのべてくださる感想や葉書の一言などからそういう感触を得ている。と言って、それにあぐらをかくつもりはありません。
〇今日は古本で買って来た小説『火花』を読んでいた。漫才についての話が、ぜんぶ芸術論として通用する。のみならず、現代短歌の分野にも当てはまる箴言が多いと思った。そうして若い頃の文学談義を思い出した。
〇昨日は邱永漢の『濁水渓』を読んでいた。戦時中の若者の運命を思うと、いたたまれない気がする。これはそんなに長くもない中篇小説だが、読み終わりたくないので、何度も読みさして時間をかけている。こう書くと本を読む時間がたっぷりあるように見えるかもしれないが、そうでもない。先に書いたが、眠くならない頭の冴えた時間というのは、そんなに長くはとれない。
〇書店で「世界」と「俳句」と「すばる」のどれにしようか迷ったあげく、「俳句」を買ってしまった。生誕百年記念の角川源義の小冊子が読みたかったからである。ぱらぱらめくっているうちに、
さるをがせかなしみ深し三十三才 角川源義
という句が目に飛び込んだせいもある。「三十三才」に「みそさざい」と振り仮名がある。「さるをがせ」のような幽明の境に位置する生物を賞美するこころが、何ともゆかしい。「さるをがせ」と「三十三才」の季がいつなのか、私にはすぐにはわからないが、「三十三才」の声をかなしいと聞きながら、作者は「さるをがせ」の風姿というか、在り様のようなものに観入してしまっている。さるをがせは寂々と風に吹かれつつ森のあちこちに枝垂れている。そこに鳥声はあくまでも悲痛である。
〇歌人では金井秋彦が網や簾、蔓のようなものを素材に歌を作ることを好んだ。
うす紅く雄花うなかぶすあけび蔓かもめの群るる入江が見えて
金井秋彦
蕨手文うかぶ暗闇の室のごと疲れはてて帰りし吾の眠るも
黐の木は闇に微光をはなつと言うその喬き樹下を夜夜帰りゆく
こういう好ましいもののことを書いたり読んだりしているうちに、何かを書く気力というものが起きて来るのである。
〇この秋は先輩や知人の歌集の出版が相次いでいる。ところが、休日は私事に忙殺されて、なかなか文章を書く時間がとれなかった。私はツイッターはやらない。このブログの書き方だと、全部丁寧にコメントすることはむずかしい。なぜかというと、歌集だけ読んでいて批評文なんてものは書けないのである。いろいろなところに感覚を遊ばせておいて、自由な精神状態の時に感興に乗ってはじめて書けるのであって、義務感だけでこんなブログを続けられるものでもない。それはこのブログの読者の皆さんもわかっておられるようで、折々に顔見知りの方がのべてくださる感想や葉書の一言などからそういう感触を得ている。と言って、それにあぐらをかくつもりはありません。
〇今日は古本で買って来た小説『火花』を読んでいた。漫才についての話が、ぜんぶ芸術論として通用する。のみならず、現代短歌の分野にも当てはまる箴言が多いと思った。そうして若い頃の文学談義を思い出した。
〇昨日は邱永漢の『濁水渓』を読んでいた。戦時中の若者の運命を思うと、いたたまれない気がする。これはそんなに長くもない中篇小説だが、読み終わりたくないので、何度も読みさして時間をかけている。こう書くと本を読む時間がたっぷりあるように見えるかもしれないが、そうでもない。先に書いたが、眠くならない頭の冴えた時間というのは、そんなに長くはとれない。
〇書店で「世界」と「俳句」と「すばる」のどれにしようか迷ったあげく、「俳句」を買ってしまった。生誕百年記念の角川源義の小冊子が読みたかったからである。ぱらぱらめくっているうちに、
さるをがせかなしみ深し三十三才 角川源義
という句が目に飛び込んだせいもある。「三十三才」に「みそさざい」と振り仮名がある。「さるをがせ」のような幽明の境に位置する生物を賞美するこころが、何ともゆかしい。「さるをがせ」と「三十三才」の季がいつなのか、私にはすぐにはわからないが、「三十三才」の声をかなしいと聞きながら、作者は「さるをがせ」の風姿というか、在り様のようなものに観入してしまっている。さるをがせは寂々と風に吹かれつつ森のあちこちに枝垂れている。そこに鳥声はあくまでも悲痛である。
〇歌人では金井秋彦が網や簾、蔓のようなものを素材に歌を作ることを好んだ。
うす紅く雄花うなかぶすあけび蔓かもめの群るる入江が見えて
金井秋彦
蕨手文うかぶ暗闇の室のごと疲れはてて帰りし吾の眠るも
黐の木は闇に微光をはなつと言うその喬き樹下を夜夜帰りゆく
こういう好ましいもののことを書いたり読んだりしているうちに、何かを書く気力というものが起きて来るのである。