最近は、人生不如意の感が、日常の常態の気分となっているので、はなやいでいる人や若いひとたちが、不思議なものでも見るような遠い感じに見えてしまう時があるのだが、あまりそれを年齢のせいにしたくない。それは自分で選んだ道というか、生き方のせいでもあったのだから、それなりに責任をとらなくてはならない性格のものでもあり、苦いけれども仕方のないことだ。しかし、そういう気分に強く映ってくる作品なり、今時分からの梅の花であるような芳しい香りを持つものが、この世にはあるのだ。たとえば。
旧知の藤田さんの歌集について、もっと早くにコメントを出すべきであった。そうしよう、そうしようと思いながら、私が書かなかった理由のひとつが、単に本が見当たらなかったせいでもあるということを言い訳にしても仕方がないけれども、事実そうなんだからスミマセン、と藤田さんには先におわび申し上げる。
電線に小鳥集ひて啼き交はすおそらくは自傷を知らぬその声
取りあへず新たなページ開くべしカテーテルぬつと這ひゆく辺り
この二首は並んでいる。「自傷」の傷と、治療目的の「カテーテル」の入る傷とは別物であるが、二首並ぶことによって、何か奇妙な連関が生じている。不思議な詩的な感興が生まれるところから、作者は自分の病を修辞を通してきちんと対象化していることがわかる。決して軽い病気ではなさそうなのに、「小鳥集ひて啼き交はす」光景と、「取りあへず新たなページ開くべし」と言う作者は、自らの詩に拠って明るくされている。
あまたなる団栗転がる坂の道耳鳴りふいに止みて空なり
※「空」に「くう」と振り仮名。
なりゆきのままにとしたるわが生にプルトップ一つ開けられぬ朝
無慚にもさう遠くない人生を見透かす硝子、夕陽が熱い
ここにも、あるがままの自分の現在を受け止めている作者がいる。体力の減衰ということをぼやくのではなくて、詩として昇華してうたっている。
空うつす鏡をお持ちでないですか今のわたしが映らぬやうな
おそらくは屈折率の違ひだらうあなたの来世がかんばしいかも
こんなにも多くの失意持つ吾を入れてくるるらし苺ハウスは
私は二首目の「屈折率」の歌が、いちばん好きだ。何処かで決定的に自己否定的なところがある作者なのだけれども、一首目や三首目のような否定的な感情の地の色の上に置いてみた時に、二首目の歌は、別種の光線のカーブを発するのである。「あなたの来世がかんばしいかも」という句には、捨て身のユーモア、諧謔の味がある。おそらくは夫君への愛を発条とした、そのような女性であるが故の関係に根差したひらめきのようなもの、それを歌にしている。こういうことは、長年短歌というものを作って来なければ絶対にできない技なのだ。
この人は茶道の先生でもあった。一首引いておこう。
沈香のうすらなる膜ここよりはうつつしがらみ断ちて、わたくし
※翌日に文章を手直しした。
旧知の藤田さんの歌集について、もっと早くにコメントを出すべきであった。そうしよう、そうしようと思いながら、私が書かなかった理由のひとつが、単に本が見当たらなかったせいでもあるということを言い訳にしても仕方がないけれども、事実そうなんだからスミマセン、と藤田さんには先におわび申し上げる。
電線に小鳥集ひて啼き交はすおそらくは自傷を知らぬその声
取りあへず新たなページ開くべしカテーテルぬつと這ひゆく辺り
この二首は並んでいる。「自傷」の傷と、治療目的の「カテーテル」の入る傷とは別物であるが、二首並ぶことによって、何か奇妙な連関が生じている。不思議な詩的な感興が生まれるところから、作者は自分の病を修辞を通してきちんと対象化していることがわかる。決して軽い病気ではなさそうなのに、「小鳥集ひて啼き交はす」光景と、「取りあへず新たなページ開くべし」と言う作者は、自らの詩に拠って明るくされている。
あまたなる団栗転がる坂の道耳鳴りふいに止みて空なり
※「空」に「くう」と振り仮名。
なりゆきのままにとしたるわが生にプルトップ一つ開けられぬ朝
無慚にもさう遠くない人生を見透かす硝子、夕陽が熱い
ここにも、あるがままの自分の現在を受け止めている作者がいる。体力の減衰ということをぼやくのではなくて、詩として昇華してうたっている。
空うつす鏡をお持ちでないですか今のわたしが映らぬやうな
おそらくは屈折率の違ひだらうあなたの来世がかんばしいかも
こんなにも多くの失意持つ吾を入れてくるるらし苺ハウスは
私は二首目の「屈折率」の歌が、いちばん好きだ。何処かで決定的に自己否定的なところがある作者なのだけれども、一首目や三首目のような否定的な感情の地の色の上に置いてみた時に、二首目の歌は、別種の光線のカーブを発するのである。「あなたの来世がかんばしいかも」という句には、捨て身のユーモア、諧謔の味がある。おそらくは夫君への愛を発条とした、そのような女性であるが故の関係に根差したひらめきのようなもの、それを歌にしている。こういうことは、長年短歌というものを作って来なければ絶対にできない技なのだ。
この人は茶道の先生でもあった。一首引いておこう。
沈香のうすらなる膜ここよりはうつつしがらみ断ちて、わたくし
※翌日に文章を手直しした。