さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

メモをひとつ

2018年01月27日 | 現代短歌 文学 文化
 ※一度消したが、復活する。

 服部真理子の

 この世というさびしい視野のひろがりをひえびえとして牛乳ながれ

という歌は、たぶん「聖書」の「乳と蜜の流れる大地」をもじって「牛乳」にしてしまったところに作者の諧謔の感覚があるので、ここに白い霧や靄のイメージを当てるのは、歌の解釈としては、いい線いっていると思う。

 服部真理子がクリスチャンかどうか私は知らないが、作者の「聖書」好みは第一歌集を読めばわかることだ。きらきらして明るいイメージ好みの作者が、「この世」を「さびしい視野のひろがり」と思うというところに、私は作者の修道女的な世界や感覚へのあこがれを読み取る。

 服部真理子の歌には、極度に人間化された「自然」とともに生きている現在の人類、自己の生死の意味を託せるほどの大地が失われた今という時代への悲しみがある。私には深く信じられるものがない、というところに、「乳」が「牛乳」になってしまう根拠や理由というものがあり、そういう運命に寄り添う意志というものが、今後彼女なり、彼女の周囲の若い歌人には必要なのかもしれない。それは作品が「わかる」とか「わからない」とか言う以前の問題だと私は思うが、その一方で、あんまり歌を読んだり作ったりする時に生真面目になりすぎるのもどうかとも思う。その昔に戸井田道三が言っていた「いいかげん」な「いいかげん」でいいのではないだろうか、とも思う。