さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

河野泰子『白髪屋敷の雨』

2018年04月07日 | 現代短歌
 文句なしのいい歌集。岡井隆に帯文を書いてもらえるのも、この人の幸せであろう。岡井さんが頼まれれば何かしてあげようと思うだけの歌人だということだ。この歌集の叙法は、ずっと私もなじんで来た性質のものなので、とにかくめくっていて気が安らかなのである。

血族でなき三人のあけくれに猫が鳴きをりくらき仏間に

ゆらゆらといつもゆらゆらと定まらぬ気分といふ奴 空が遠いよ

風すさぶ師走の午後を無患子の妄想の実がむくむくふとる

遺物混入のやうに住みをりこの町のカーブミラーにうつされながら

 同じ一連から引いた。これだけでも、作者の精神的な位相や、日常のなかにおける自意識の繊細な位置取りなど、あらゆることが読み手に一度に伝わって来て、何ものかが判明な知性の領域に丁寧に腑分けされて置かれた、というような、うれしさと満足を感ずることができる。これが短歌によって生を描くという事なのであり、ことばが現実に生きているということの証明である。こうした円満な叙法によって丁寧に作られた短歌を読む楽しさは、どう説明しようとしても説明がつかない。

ほたほたと松に降りつむ雪の日はミャアと鼻づら寄せてくる猫

こういう歌も、世間によくある愛猫短歌とは一線を画しているのであって、上の句の「ほたほたと松に降りつむ雪の日は」という描写がしぶい効き目を持っているからおもしろく読めるのである。

風花の舞ひ散るまどべに目見ほそくたちゐし父のこころ知るなく
  ※「目見」に「まみ」と振り仮名。

夢のなかなどゆだんはするなかれ覚めて疼きぬ刺されし胸が

こゑつてね知性なの、といふ人のいたづらつぽいこゑを聞きをり

朝の露、蚯蚓、月光 けふわれの手にかけしものをおもひ出づれば
  ※「あさ」の「つゆ」、「みみず」、「げつくわう」に振り仮名あり。

 おしまいに。タイトルは、作者独特の諧謔のあらわれであろう。現代の文人趣味というものは、このようなかたちをとる。