さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

藤田冴『湖水の声』 2

2018年07月28日 | 現代短歌
 それについて書こうと思って見ていた本が、あっという間に行方不明になって、二時間ほどさがしているのだが見つからない。そのかわりに、この本が出て来た。

 はい。とだけ届きたるメール夜をこめて信じたきものあへて捜さず

 少しづつ後れて歩む夫を待つ稲穂揺れゐる小道に入れば

 読んですぐにわかる歌ではないが、一首目は、潔癖で静かな自己についての倫理を語る歌であり、私はこの人のクリアな、自意識の花を水盤に生けたような歌が好きである。これは私にとってはもっともなじみの文体、と言ってもいいもので、岡井隆のエコールのなかでも純粋種の自意識短歌の姿である。

 楝の葉ひそと揺らししおとなひに顕ちきぬ磊落なりし義弟

 ※「楝」に「あふち」、「義弟」に「おとひと」と振り仮名。

 「わたしはね未ダ亡クナラザル人よ、お姉さまほら渋谷にも雪が」

 一首目の「おとなひ」は「訪なひ」、楝の葉のそよぎに、死者の魂が訪ねてきたように感ずる、というのだ。楝の木に亡き義弟のイメージが重ねられていることは、言うまでもない。二首目は、夫をなくした妹が、「未亡人」のことをこう言ったというのだ。しゃれた歌である。

 沈香のうすらなる膜ここよりはうつつしがらみ断ちて、わたくし

 細面の古瀬戸の茶入れ現れぬなべてを解く力放ちて

 ※「細面」に「ほそおもて」、「古瀬戸」に「こぜと」、「解く」に「ほど(く)」と振り仮名。

 どんなにか深く愛でられ所持されしか濃きみどり緒に吾らも触れつ

 作者は茶人でもあり、これは名物に接することのできた時の茶会の歌である。「なべてを解く力」を放つ美なるもの。言葉でそういうものを作れないか。実にフランス象徴派以来の願いを、現代短歌は依然として抱き続けているのであり、作者もその一人である。

 電線に小鳥集ひて啼き交はすおそらく自傷を知らぬその声

 驟雨去りしあしたの街に現はるる日常のなんとすがしかる綾

 銀色のブレスレット欲し過ちはわたくしですと挙手をするため

 三首目の歌は、世間に自己否定的な人や、かぎりなく自己評価の低い人というのはざらにいると思うのだけれども、その人が「過ちはわたくしですと挙手をするため」に「銀色のブレスレット」が「欲し」いという人は、そういるものではない。この辺の加減が性に合うというひとは、藤田さんの支持者となるであろう。岡井隆の栞には、完全をもとめすぎないで、というようなアドバイスが記されていた。「挙手をするため」というのは、いたって生真面目に言っているのかもしれないが、どこかに可笑(おか)しみを伴っている。巻末に近いところからもう一首引く。

 多摩川の夕くれなゐを運ぶため風はしづかに宙へと還る

 ※「宙」に「そら」と振り仮名。
  
※この歌集については一度書いていたのだったが、身の回りを整理していたら本が出て来て、また書いてしまった。