さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

古井由吉『この道』

2019年05月20日 | 
 書店の新刊コーナーに行ったら古井由吉の『この道』があったから、買って来た。この人の書くものは、文章の運びに身をまかせて読んでいく時の楽しみがある。自分もだんだん死が現実のこととして視野に入って来た歳になって読むと、よけいに古井由吉の書くことが近々と感じられるのである。そういう視線でこの世の事や、自分より若いひとたちのやっていることを見つめる視線というのが、つまりは老い人の目なのだということにも、この頃慣れた。それは、若い母親が乳母車(近頃はベビーカーとしか言わないが)を押している姿を見たり、電車のなかでだだをこねる我が子に困り果てている若い父親の姿を見たりした時に、とりわけ強く感じられる、なつかしいのに、ひどく隔たってしまっているという感じなのだ。
 過去の助動詞の「けり」の語源は「来あり」だという。これはベルグソンの現在の時間の説明と合致しているようだ。『この道』から引く。

 「わたしという存在は一身の過去の記憶の、よくも思い出せないものもふくめて、漠とした積み重ねの上に立つと取るのがまず穏当である。」

 「息を引き取った後で、死んだ自分を去り際に振り返る。そんな想像が人の内に埋め込まれているようだ。そこで死んでいるのが自分なら、振り返る自分は誰なのか、と粗忽の話に類しかねないところだが、霊魂の不滅を信じかねていてもそのような想像が時に去来して、いず死ぬことへの、なにがしかの和(なご)みになるのだから、何事かなのだろう。やがてひとりになり、知らぬ道をたどりながら…」

 独特の文章のリズムは、要所で5語音節と7語音節が効いていることによって生まれている。加えて高低アクセントの配分が音読に堪える張った調子を生む。
「わたしという6/存在は5/一身の過去の7(促音のため3+3)/記憶の、4+無音の拍1/よくも思い出せない10/ものもふくめて、7+無音の拍1/漠とした5/積み重ねの6/上に立つと6(3+3)/取るのがまず6(4+2)/穏当である7/。」

  注  一身 過去 よくも もの 漠と 上 まず 息を そんな 人 埋め  を太字にしてみてください。

「息を引き取った後で、死んだ自分を去り際に振り返る。そんな想像が人の内に埋め込まれているようだ。」
 
 「息を」でいったん跳ねたあと、「死んだ自分を7/去り際に5/振り返る5」と見事に7・5語音節の調子で息を抜き、続けてまた「そんな想像が」と再び盛り上がる。このうねるような文体の魅力は詩を読む感覚に近い。と言って野坂昭如のような文体とも、また違うのだ。同じく語りの文体ではあるけれど、自動筆記的に不意打ちの一語を、深い認識の生成を伴いながら呼び込んで来るところが、古井の文体の魅力である。

 ここまで書いたところで胃腸が深夜の掃除の動きをはじめたから、そろそろ眠れそうな気がする。