さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

高田宏臣『土中環境』

2020年11月07日 | 地域活性化のために
 以前農学部受験の生徒のための本を捜しているなかで、これはすごいと思ったのが岩波新書の『日本の美林』だった。これに加えて、ダム建設と治山植林の今後について指針となるような本の決定版が最近になって出た。本書は従来の「水脈」という考え方に加えて、気流の流れを重要な環境形成要素とする「通気浸透水脈」という用語を提示する。

「通気浸透水脈は、菌糸の膜を通して染み出し、周辺土中を涵養し、土中の余剰水分を集めると同時に不足分を補うという、土中環境の適度な湿度を保つ働きをします。」
73ページ

ということで、本書は、河川の川筋の自然・森林環境と地盤・岩盤の関係を一体のものとしてとらえて、土石流によって打ち破られてしまう砂防ダムにかわる河川の保全と補修のあり方について、根本的な提案を行おうとするものである。

「上流域の河川における土砂の堆積や河岸の崩壊は、伏流水の停滞に伴い、土地が流亡しやすい状態となり、さらに豪雨の度に大きく水位変化するが故に生じます。伏流水の停滞や、流域の通気浸透不良が解消されない限り、土壌の安定構造は得られず、増水の度に川底はえぐられて土砂の流亡が続きます。流亡した土砂の堆積は川底の空隙をますます目詰まりさせ、涌き水を停止させています。
 やがて周辺の樹木の幹枝にカビやコケが生じるなど、森の痛みが目に見える形で進行し、土中の滞水による深部根系の枯損や樹勢の後退という症状が、顕著に読み取れるようになります。
 こうした不安定な河川や谷筋を伝ってさかのぼると、多くは防砂ダム(治山ダム)に行き当たります。(略)
 土砂流亡を防ぐ目的でつくられる砂防ダムは、日本では100年ほど前から建設が始まり、災害予防および経済対策として戦後、昭和30年代から本格的につくられてきました。その総数は把握しきれないほどで、現在、日本全国に何十万基と設置されています。もはや自然のままに呼吸する川を探すことは困難な状況です。」
                                 120ページ

本書は単純な「自然保護」の掛け声とはちがった技術的な代替案を考案する基盤を提供するもので、筆者の考え方をベースにした学際的な取り組みによって、今後の日本の河川、林野の土木計画が抜本的に生まれ変わる可能性を秘めている。

そうして山が生まれ変われば、ダムでせき止められていた枯葉の含む金属イオンの栄養分が海に流れ入って、漁獲量も劇的に回復する。沿岸漁業は、六十年前の漁獲量のせめて半分でも回復すれば大したことになるだろう。海と山の再生は密接に連関しているのである。最近の特に九州の山林崩壊を目の当たりにして、ますます著者の提言は意味を持ち始めている。

それに本書の主張する内容は、大手ゼネコンや地方の土木業者の利益を決して損ねるものではなく、長い目でみた時には半永久的な河川改修や林道の補修の仕事を用意するものであるだろう。まずは改善箇所の見極めと不要な砂防ダムの撤去、それから選定された地点の掘削と川底浚い、護岸の手当をするだけでも相当の予算出動が見込まれる。治水行政の根本的な転換は、誰にとっても益となるのである。

 特に地域の活性化と再生を考える人たちは、本書を必読書とすべきである。

太田一郎『殘紅集』

2020年11月07日 | 現代短歌
 キース・ジャレットの「ジャスミン」をかけてから、静かな気持で太田一郎の『殘紅集』をひろげる。この季節に何となく似つかわしい書名であるが、一九九四年砂子屋書房刊の著者が七十歳の作品集である。この秋に、このどの結社にも集団にも属さずに一人で歌を作り続けた人の歌を取り出して読んでみようと思ったのも何かの縁である。
 
  はたはたと長き弔旗のはためきて雲の奥處に滅えゆくばかり
   ※「奥處」に「おくか」と振り仮名
  
  おびただしき軍鼓のどよみ迫りきて耳底にして重くのこれる

  カドリールゆるゆる過ぎてためらへば忘れがたくも虹の浮橋

  ここに来ていかにかすらむふりそぞく秋の陽ざしの渇きゆくまま

 これが何を下敷きにしてつくられた歌かということは、よけいな検索をさけるために書かないが、詩集を愛読したことのある人ならすぐにわかるはずだ。この一連のはじめの方には次のような歌がある。

  ボロ麻か何かうづたかく捨てられて鷺の脛さへ寒き六月

  ものうきに血を吐くやうな晩夏の記憶うすれてパラソル褪せぬ
    ※「挽歌」に「おそなつ」と振り仮名

 一連は、ここに引いた二首目の晩夏の歌を起点にして、先出の詩を踏まえた連作がつづられてゆくという構造になっている。詩の世界のイメージと、それを生んだ詩人の痛苦の思いとが、太田一郎自身の経験と二重化したところで作品化されていく。これは、詩歌の作り方の一つなのだけれども、「血を吐くやうな晩夏の記憶」が作者の実感に根差しているために、言葉が浮薄なものとならない。ここの押さえ石のような部分をどう作品に盛り込んでゆくかということが、短歌では常に問われる。と言うか、読み手はほとんど無意識のうちにそこをまさぐっている。

  白き骨の一つひとつが影曳きて陽にさらさるる季とこそ言へ
   ※「季」に「とき」と振り仮名

こういう季節への鋭い感じ方が、時折さしはさまれる。

  すれちがひささめきながら會社などあてにならぬと口々に言ふ

  定年ののちのかたちか背を伸ばしビルの間を真直にあゆむ
   ※「間」に「あはひ」、「眞直」に「ますぐ」と振り仮名
  
  蒼ざめし𦾔友ひとり逝きし日に茶いろに滲むオーバーも着つ
   ※「𦾔」は「旧」。環境依存文字

  とほき日の軍靴の音もよみがへり烏むらがる路筋を行く

 この四首は同じ一連の歌である。軍楽や軍靴の音を実際に街中で聞いたことがある世代とそうでない世代の間では、軍隊とか行軍のイメージが大きく異なっているということを、こういう歌をみると改めて考えさせられる。中原の詩のいくつかについての感受の仕方もちがってくる。ここでは、それは〈重苦しさのイメージ〉、ということなのだが。それは時代によってちがうものなのだが、戦前の時代をイメージする時には欠かせないひとつの基調となる物音のイメージではある。胸を張って歩いている自分を意識したあとで、それが軍靴の列の思い出につながってゆくというのは、友人の葬儀があったせいだろう。

  輕き風からだのなかを吹き拔けてはだれのごとし日日の現は
   ※「現」に「うつつ」と振り仮名
 
  目閉づればこだはりもなく逝きしきみやさしさばかり空に溶けゆく

 これはその妻への挽歌。はだれのごとし日日の現は、という虚しさが心にしみる。作者はこのあとに母を失う。男性にとって妻と母を前後して失うというのは、とても大きな痛手なのであって、殘紅集というのは、そういう作者の紅涙をしぼるような思いを託した集名であったということがわかる。

  なにとなく日も暮れゆけば羊歯群落に胞子はびこる季もいたるか
   ※「羊歯群落」に「しだむら」、「季」に「とき」と振り仮名

  目路はるかうつろひにつつ黄櫨いろに染みし丘べに孤り子あゆむ
   ※「黄櫨」に「はじ」と振り仮名

 この「孤り子」は作者自身のことであろう。