自然の風物や、美しい物、見るもの聞くもののすべてが愛しく、またもの寂しい。この歌集にうたわれている老年の感傷と感慨に頷き、切ない共感を抱く。
御塩田とふ地にて採られし塩は神に捧ぐるためぞ白くはあらず
妻と歩みしは遠き日のこと再びをひとり橋超ゆしみじみと越ゆ
言葉がわき出して来るように歌を作るというタイプの作者ではない。この伊勢を旅しながら亡くなった妻のことを思う一連をまずひろげて読んでみた。一息が短くて訥々としているが、これは圧倒的な喪失感のなかで作っているからだろう。もう少し言葉がやすらかに運んでいる一連もある。
ゆふづつは少し移りてそれまでの軌跡を闇のなかに残さず
気づけるは残り少なき日日にして彗星の尾の時間と言はむ
平淡な叙法ばかりかと思っていると、夕べの星は軌跡を闇のなかに残さないものだな、などという自己顕示に流れやすい人間存在へのとらえ返しが来る。そこから自身の残生を自ら荘厳して「彗星の尾の時間」などと呼んでみせる。何食わぬ顔をしているが、けっこう芸はあるのだ。このぐらいが嫌味でなくていいと思えるような年齢に私もなってしまった。むろん私は若い人たちの凝った修辞の歌も嫌いではないのだが、これはこれで楽しんで読めるということである。
花火上がれど人声聞かずいくたびも音響かせて光を散らす
※「人声」に「ひとごゑ」と振り仮名
わかものら散らずにあらばおそらくは卒寿迎へて玄孫もをらむ
※「玄孫」に「やしやご」と振り仮名
たたかひの済みにしあとに華やげる銀座カンカン娘らすでに帰泉か
※「帰泉」に「きせん」と振り仮名。
平和とはまさに奇跡のたまものか然は言へど与へられたるものか
※「然」に「さ」と振り仮名
呆然と坐りてをれば背後よりこゑのすれども誰も居らざり
白鳳のほとけに遭ひたきとき過ぎて花のやうなる囁きを聞く
「白鳳のほとけ」がその祈りと願いによってつないでいるもののことを思えば、幽冥境を異にするものとの対話もまた可なり、ということだろう。
巻末の作者紹介のところをみると、大野誠夫のところで歌をはじめ、作風社退会ののちは宮岡昇のところで歌を作っていたとある。『歌人 大野誠夫の青春』という本を出しておられる。着実に自分のしたい仕事をしてきた人だろう。
生れしのち失ふまでは短くて天にも地下にも魂はひしめく
※「魂」に「たま」と振り仮名
秋の身は熟るることなく目瞑ればやがて見えくる吉野の桜
※「瞑」に「つむ」と振り仮名
わたくしが沼になるならいちにんを浮かべて魚になるまで待たむ
この「いちにん」は亡くした妻のことであろう。このぐらいのことを言って私も死にたいものだと、作者をうらやましく思うものだが、こう書いたすぐあとに孤独感を噛みしめる作者のええい、と言葉をぶん回している文芸の徒としての覚悟のようなものを思った。
御塩田とふ地にて採られし塩は神に捧ぐるためぞ白くはあらず
妻と歩みしは遠き日のこと再びをひとり橋超ゆしみじみと越ゆ
言葉がわき出して来るように歌を作るというタイプの作者ではない。この伊勢を旅しながら亡くなった妻のことを思う一連をまずひろげて読んでみた。一息が短くて訥々としているが、これは圧倒的な喪失感のなかで作っているからだろう。もう少し言葉がやすらかに運んでいる一連もある。
ゆふづつは少し移りてそれまでの軌跡を闇のなかに残さず
気づけるは残り少なき日日にして彗星の尾の時間と言はむ
平淡な叙法ばかりかと思っていると、夕べの星は軌跡を闇のなかに残さないものだな、などという自己顕示に流れやすい人間存在へのとらえ返しが来る。そこから自身の残生を自ら荘厳して「彗星の尾の時間」などと呼んでみせる。何食わぬ顔をしているが、けっこう芸はあるのだ。このぐらいが嫌味でなくていいと思えるような年齢に私もなってしまった。むろん私は若い人たちの凝った修辞の歌も嫌いではないのだが、これはこれで楽しんで読めるということである。
花火上がれど人声聞かずいくたびも音響かせて光を散らす
※「人声」に「ひとごゑ」と振り仮名
わかものら散らずにあらばおそらくは卒寿迎へて玄孫もをらむ
※「玄孫」に「やしやご」と振り仮名
たたかひの済みにしあとに華やげる銀座カンカン娘らすでに帰泉か
※「帰泉」に「きせん」と振り仮名。
平和とはまさに奇跡のたまものか然は言へど与へられたるものか
※「然」に「さ」と振り仮名
呆然と坐りてをれば背後よりこゑのすれども誰も居らざり
白鳳のほとけに遭ひたきとき過ぎて花のやうなる囁きを聞く
「白鳳のほとけ」がその祈りと願いによってつないでいるもののことを思えば、幽冥境を異にするものとの対話もまた可なり、ということだろう。
巻末の作者紹介のところをみると、大野誠夫のところで歌をはじめ、作風社退会ののちは宮岡昇のところで歌を作っていたとある。『歌人 大野誠夫の青春』という本を出しておられる。着実に自分のしたい仕事をしてきた人だろう。
生れしのち失ふまでは短くて天にも地下にも魂はひしめく
※「魂」に「たま」と振り仮名
秋の身は熟るることなく目瞑ればやがて見えくる吉野の桜
※「瞑」に「つむ」と振り仮名
わたくしが沼になるならいちにんを浮かべて魚になるまで待たむ
この「いちにん」は亡くした妻のことであろう。このぐらいのことを言って私も死にたいものだと、作者をうらやましく思うものだが、こう書いたすぐあとに孤独感を噛みしめる作者のええい、と言葉をぶん回している文芸の徒としての覚悟のようなものを思った。