さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

吉田漱さんのこと、和辻哲郎の公共性についての規定

2018年06月09日 | 
メモ・吉田漱さんのこと、和辻哲郎の公共性についての規定

 「未来」の歌人だった吉田漱さんは、江戸から明治にかけての絵画の専門家であった。少し前の河鍋暁斎。最近では小林清親。この画家についての解説は、吉田さんの著書に負うものが多いはずである。

 あとは、意外なところで吉田漱さんの名前を目にした。奥本大三郎『壊れた壺』集英社文庫1997年刊に、ポール・ジャクレーという蝶の標本の収集家だったフランス人の画家の話が出て来る。ジャクレーは、明治三十二年、四歳の時に来日し、昭和三十五年に軽井沢で没した。

 その…(以下は、奥本大三郎の著書よりの引用)

「展覧会のカタログにある吉田漱氏の解説および年譜によれば、母はバスク出身で、両親の結婚は、ソルボンヌ大学の総長を永く務めた父方の祖父の気に入らなかったらしい。ポール・ジャクレーの木版画が示している、チャモロ族やアイヌのような、いわば少数民族に対する一種の共感は、あるいは母に対する想いと関係があるのかもしれない。」

 吉田漱には、別のペンネームによるエスぺランチストの高倉テルの伝記がある。吉田には、コスモポリタン的な感覚を持った民俗芸術に対する嗅覚と好奇心があった。浮世絵は、端的に言うなら近世日本の都市のフォークロアである。それにたとえばゴッホが鋭く反応したというのは、わかる。そういう意味では、芸術上の革新というのは、常に、と言っていいほど、フォークロアの血統を受け継いだもののなかに現れるところがある。「アララギ」の写実主義を身をもってマスターしながら、コスモポリタンな民衆芸術に意義を見いだすという吉田の視点には、広くて深いものがあった。

 私は時々、自分にないものの持ち主ということで、吉田漱という人の広さと深さを、不意になつかしく思い出すのである。昨日は私の母の命日であった。何となく手元に転がってきた本をひろげて書いてみたら、こんな文章になった。

 この後は蛇足になる。でも、書いてみようか。

中山恭子『ウズベキスタンの桜』2005年KTC中央出版
 タシケントの劇場を建設した日本人の戦争捕虜の話が出て来る。

和辻哲郎『倫理学』(一)岩波文庫2007年刊
「そこでまず、世間にあらわになるということは、一つの国民の内部、あるいは何らかの共同体の内部の、<すべての人に知られている>(カギかっこに傍点)ということではない。事実上きわめて少数の人しか知らないことが、しかも最大の公共性を持っているという場合はあり得る。なぜなら、世間にあらわになるということは、<世間にとって隠されていない>(カギかっこに傍点)ということにほかならぬからである。言い換えれば、それに接近しようとするすべての人に対して開放せられているということなのである。従って公共性の大いさは事実上それに参与する人の数量によってではなく、<参与の可能性〉(カギかっこに傍点)の大いさによって計られねばならぬ。<世間にあらわにするとは>(カギかっこに傍点)、その世間に属するあらゆる人に<参与の可能性を与えること>(カギかっこに傍点)にほかならない。これが公共性の主要な規定である。」
226ページ

 これは、喫緊の問題ともかかわる言葉だ。和辻は、ドイツ哲学を批判的に読みこむ中で、どうしてこれだけ明確な公共性についての規定を書き得たのだろうか。信じがたいほど冴えていると思う。もう一つ。

 「個人存在があらゆる空しさの根柢であることを覚るのみでは、個人に超個人的意志への合致を命令する道徳法は可能とはならない。むしろ逆に、個人存在の根柢が空であることを覚ることによって、個人存在は自他不二的充実の根柢となり、従って道徳性も可能となるのである。」343ページ

 ハイデッガー批判として書かれている一節にある言葉だが、こういう思考の中には、国家主義と愛国心の問題があり、これを引っくり返すためには、「個人存在があらゆる空しさの根柢であることを覚る」ということと、「個人存在は自他不二的充実の根柢とな」るということの両方を吟味していく必要がある。ここのところを曖昧にしていくら空論を述べ立ててもそれは心情論でしかない。

 私としては、ここから一直線に演繹していくのではなく、さまざまな媒介項目や、歴史的な実例や、各種の素材を提示しながら、個別に吟味してゆく鶴見俊輔のようなやり方が大事だと思っている。ここですぐに白か黒かをはっきりさせようとする言葉は、私はネット言論のいちばんいけないところだと考えている。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿