四・五十代以上の人間が与謝野晶子の歌を読むとしたら、どこが入り口になるだろうかと考えると、まずそれは『みだれ髪』ではない。ところが与謝野晶子に関心を持つ人は、たいてい若い頃の晶子について読んだり書いたりするのに労力をとられてしまうから、よほど晶子にこだわる人以外は、だいたい大正から昭和にかけての歌に関しては、選抄ですませるということになってしまうのではないかと思う。この流れを変える必要がある。
やはりそうかと、あらためて思ったのが、本書の末尾にある次の文章である。
「自我の詩」をもとめて出発した「明星」であった。その「明星」の申し子のような与謝野晶子が、自身の晩年において、世界に対して自己を突出させるのではなく、景のなかに自己の心情を融け込ませようとする境地で作品を多く残していることについて、そこに重ねられたであろうひとりの歌人としての晶子の時間の重さを感じ、同時にまた、明治、大正、昭和と流れた近代短歌の時間をも思わせられるのである。
(一八三ページ)
この言葉を出発点として、著者には後期の晶子の歌についても何か書いてもらいたいと思ったことである。その際にはぜひ、晶子の高弟というか実質的な同伴者と言った方がいい平野萬里の仕事についても、あわせて書いてもらえるとありがたい。
晶子が亡くなったあと、戦時中に平野萬里が出した追悼の選歌集があるのだが、私はこれによって晩年の晶子の歌に対する目を開かれた。また与謝野晶子という歌人に対する深い敬意を抱くようにもなった。
私は本書のなかでは、若書きの茂吉の「塩原行」の歌と五十代の晶子の歌とを比較した<『心の遠景』の「旅の歌」>という論文にもっとも興味を覚えた。だから、念のためにことわっておくと、この一文は本書の書評ではない。
最初の問いにもどると、五十代の人間が晶子に接近するとしたら、若者(わかもの)には縁遠い『心の遠景』の「旅の歌」や、『白桜集』などがいいのだろうし、何と言っても平野萬里の選歌集がいいと私は思うのである。あれは岩波文庫あたりで再刊してもらいたい。
やはりそうかと、あらためて思ったのが、本書の末尾にある次の文章である。
「自我の詩」をもとめて出発した「明星」であった。その「明星」の申し子のような与謝野晶子が、自身の晩年において、世界に対して自己を突出させるのではなく、景のなかに自己の心情を融け込ませようとする境地で作品を多く残していることについて、そこに重ねられたであろうひとりの歌人としての晶子の時間の重さを感じ、同時にまた、明治、大正、昭和と流れた近代短歌の時間をも思わせられるのである。
(一八三ページ)
この言葉を出発点として、著者には後期の晶子の歌についても何か書いてもらいたいと思ったことである。その際にはぜひ、晶子の高弟というか実質的な同伴者と言った方がいい平野萬里の仕事についても、あわせて書いてもらえるとありがたい。
晶子が亡くなったあと、戦時中に平野萬里が出した追悼の選歌集があるのだが、私はこれによって晩年の晶子の歌に対する目を開かれた。また与謝野晶子という歌人に対する深い敬意を抱くようにもなった。
私は本書のなかでは、若書きの茂吉の「塩原行」の歌と五十代の晶子の歌とを比較した<『心の遠景』の「旅の歌」>という論文にもっとも興味を覚えた。だから、念のためにことわっておくと、この一文は本書の書評ではない。
最初の問いにもどると、五十代の人間が晶子に接近するとしたら、若者(わかもの)には縁遠い『心の遠景』の「旅の歌」や、『白桜集』などがいいのだろうし、何と言っても平野萬里の選歌集がいいと私は思うのである。あれは岩波文庫あたりで再刊してもらいたい。
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