さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

柳宣宏『丈六』 近刊歌集管見

2020年05月12日 | 現代短歌
そら豆のしやくれた顎は、あ、さうだ、宇野重吉の頰笑みし顔   柳宣宏

まるいのが完全ではない幾十年そら豆を食ひ思ひいたりぬ

何となく読みながらにこにこにしてくるような歌だ。でもこの歌の少し前に次の歌がある。

洗濯機回る音すらうたた寝に母在りし日の音とし聞こゆ

それからこの一連には、次のような歌もある。

憧れのjプレス着しアイビーの若きらは死すベトナム戦に

思い出として湧き出す諸々の事象を書き留めているうちに、ある種の感慨が生まれてくる。幾十年ということだ。だから、そら豆だ。まるいのが完全ではない、ということに「思ひいたりぬ」ということになる。

夏さればキンチョールこそ思はるれ水原弘はくちびるのひと

これもある年齢層以上の人でないとわからない歌なのかもしれないが、近頃はUチューブみたいなものもあるから、見られるのかもしれない。わざわざ見なくても、この水原弘という歌手の生き方も含めて何か感慨を誘うところがあるということなので、それは人生のやむにやまれぬ成り行きのなかでもがいて生きる人間の一つの姿だったわけで、そこに何かしら共感する思いが流れている。

小港の祭りは縄を道に張り折り目正しき幣を垂らせり

 ※「小港」に「こみなと」、「幣」に「ぬさ」と振り仮名。

父さんの頭のやうな岩がありこのふた月の無沙汰を詫びる

岩として生まれ出でたる暁にこの山道に坐りつづける

小港の祭りの歌がいいなあと思えるのは、これもある年齢以上の人かもしれないが、「折り目正しき幣を垂らせり」という、この描写の簡明に加齢とともに味が見出せるようになっていくわけなのだ。岩の歌もしぶくていい。いまふと吉井勇に石を心の友とする孤独な歌があったのを思い出した。こちらの方は、もう少しやさしいやわらかい心持ちで、戦時中の吉井勇ほど悲痛ではない。それは時代というものだから、比較するまでもないが、「この山道に坐りつづける」と言ったときに、昭和をとびこえて、良寛のような古人につながりたいと作者は庶幾しているのではないだろうか。

じぶんだけ得して損はしたくないアメリカはかく落魄れたるか

ほんとにそうだなあ、と一口飲み物を呷りましょうか。

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