さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

嶋稟太郎『羽と風鈴』

2022年02月26日 | 現代短歌
  終点に近づくほどに声は増す誰に捧げる聖火だろうか

 今の時期は、ちょうどオリンピックが終わったところである。と同時にロシアのウクライナ侵攻の報道がなされている。アスリートを利用して国威発揚し、その気分を利用して対外侵攻をする、そんな聖火では空しいかぎりだ。一、二句めのさりげなく置かれた観察が効いている一首。この歌からも見て取れるように、全体に安心感をもって読める技術と言葉の感覚を持っているところが、オミクロン株にまで進展したコロナウイルス感染拡大という不安な状況のもとに置かれている読者の心に響くことだろう。

  数秒で消えるひかりが伏せ置いたスマートフォンの角から漏れる

 続く歌も、普通の写生ようでありながら、つぶやくように読んでみると、「数秒できえるひかり」から呼び覚まされる或る感じ、そこに留まっている時間というものへの感覚が先鋭に把持されていると感じる。そのことによって、読者は自己の内面にうごめく情念やイメージというものに照射して来るものを確かめることができる。そこでは、作者の内省と内声は、読者の内省となるのだ。

  対岸の街の明かりが冴えてくる窓のしずくを横に拭えば

  そして春。緑の列車はかたかたと関東平野のジッパーひらく

おしまいの同じ一連から引いた。どれも落ち着いた歌でそつがない。何となく職場の同僚の優秀な若い人たちのことをふと思い出した。前の方をめくってみる。

 乗り過ごして何駅目だろう菱形のひかりの中につま先を置く
 
 パンゲアは砂の大陸 書き出しの言葉を未だつかめずにいる

この清潔な統序された感覚。隙が無くてデッサンがくっきりしている。二首とも、たぶん寝過ごしたり、何かを書きあぐねたりしているというような場面を詠んでいるのに、倦怠感が漂わない。むしろその中で晴朗である。先日作者とその奥さんと赤ちゃんに短い時間だけ歌会の会場入口で出会って挨拶をした。好青年という印象はこれらの作品と重なる。あまり屈託しないのだ。

 いちめんの白詰草の中に立つアパートは詩か目を閉じて見る

 零余子ひとつ放りたりけり朝空とわれの間のぶあつき青に

  ※「零余子」に「むかご」、「間」に「あわい」と振り仮名。

 天窓をあけたる母のすみずみに向日葵の影かさなりてある

やや冒険した描写句の見える作品を集めた一連から続けて引いた。これも破綻がなく上手い。一首目の上句はイ音が主で、下句はア音に転じて、イ音をもう一度だしてまとめている。二首目はア列音の点綴。短歌が大事にしてきた母音の響き合いを大事にした歌の作り方が体のなかに入っている。だから、読んでいて心地よい。

 鍔狭き帽子を胸に抱えたり爆心地よりしばし見上げて

 刃のごとくわが前にある砂浜の黒きところに入りてゆきたり

たぶん、ゆるやかなテーマ性のようなものを意識して何かを付加しながら自分の歌境を拡げてゆくといいのだろう。期待している。


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