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さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

漱石の「私の個人主義」

2016年04月28日 | 大学入試改革
 読みもしない本を積み上げて、いったい何をやっているのか、と周囲に言われながら本を買い続けてしまうのが本好きというものである。そうして、みんな一様に置き場所に困り、その対策をあれこれと愚痴る姿が結構おもしろかったりする。何年か前に、四十年間ずっとダニの研究を続けて、一定の面積のなかにどれだけダニがいるのかを数えたデータをもとに、その場所の自然環境の状態を判定できるモデルを作りあげて、にわかに世間に注目された昆虫の研究者があったが、私はそのニュースを新聞で読んで、いい話だなあ、と感動したのだった。本好きのやっていることと、そのダニの研究者のやっていることには、共通する点があると思うのである。つまり、何の役に立つかどうかということは、とりあえず脇に置いておいて、自分の興味や関心のあることめがけて一路邁進する姿が、似通っているのである。

 学生の頃に、何十年も前にR出版から出ていた大正時代のダダイストの辻潤の文集をめくっていて、ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』という小説の存在を知った。この本は夏目漱石が論じていることで知られており、漱石の文学的なイカモノ好きを示すものとして漱石通には好まれる話題のひとつであるが、そのせいか翻訳が岩波文庫にあって、その三巻本を私も買ってみたものの、早々に挫折した覚えがある。
 その本の冒頭に、「道楽馬」という練れない翻訳語が出て来る。人間は、各人の欲望の「道楽馬」を追いかけている存在で、その「道楽馬」に乗っかって年中駆けずりまわって生きていくしかないのだから、すべからく人は、各人の「道楽馬」を追うべし!というアイロニカルなアジテーション、趣味の全面肯定の言葉があって、世間の変人たちにとっては、これ以上の応援団となる書物はないであろう。
 ちなみに辻潤は、スティルナーの『唯一者とその所有』を『自我経』と呼んで訳しており、私はその本も買ったままろくに読みもしなかったのでいまも書庫の底を引っくり返して捜せば見つかることとは思うが、要するに自分の好きな本しか読まなかった人として、辻潤などはそういう読書人の典型と言う事ができるのではないかと思う。

 近年は、プレゼン力の向上だとかアクティブ・ラーニングだとか、やたらと人前でキラキラしい意見を開陳する技術を磨くことを大学生に薦める教育方法が全盛であるが、それで育ったアメリカ人が、いま世間を騒がせているトランプ氏のようなしゃべり方を喜ぶのだということも、日本人は知っておくべきだろう。
 自分の穴を掘り続けていくことからしか真の独創的なものは生まれないのだという事を、夏目漱石は「私の個人主義」で語っていた。あれは学習院大学の子弟に対する講演だったが、従順な良家のお坊ちゃんたちに向かって、オブラートに包みながら、自分の関心にこだわること、そのためには大きな抵抗を乗り越えなければならないのだということを説いた、勇気ある教えでもあるのだ。そうしてそこには、福沢の説いた一身の独立と一国の独立という明治の精神の背骨が、一本びしっと通っているのである。
 
 


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