さいかち亭雑記

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佐藤優 斎藤哲也『試験に出る哲学「センター試験」で西洋思想に入門する』

2018年09月23日 | 大学入試改革
 「週刊現代」十月六日号の佐藤優の連載「名著、再び」で、斎藤哲也著『試験に出る哲学「センター試験」で西洋思想に入門する』が取り上げられている文章に感心した。紹介の文章を見る限り、高校・大学の教養課程の教員は必読の書物であるようだ。佐藤優氏の同志社大学神学部の講義では、『もう一度読む山川倫理』をテキストにしているそうで、それに今度のこの本を追加したいと書いておられた。こういう多ジャンルを渉る知見が、いまの日本ではいちばん必要とされている。

 私は佐藤氏にひとつお願いがある。このブログを読んでいただけるかどうかわからないが、今度文科省が出して来た高校の国語科の科目再編のあり方について、ぜひ精査のうえコメントをお願いしたい。日本の将来にかかわる問題である。

 ※ と、こう書いたのだが、最近2019年11月時点で、佐藤氏の発言を見ていると、私の期待からは大きく外れて、かなり文科省の路線を側面から擁護する方向に傾いているらしく思われた。私としては、2019年12月20日以降の大学入試共通テストをめぐる一連の繰り延べ騒ぎを見て氏には見解を変えてもらいたいと思っている。11月時点では、よく調べもしないで適当なコメントを流すのはやめてもらいたいと思っていた。少しがっかりしたというところである。

トップが更迭されようが何しようが、文科省の権力は絶大である。

その指示に従っている教育現場の人間の一人として、次の学習指導要領改訂に伴う教育課程再編の内容がわかりにくくて現場は困惑し、かつ混乱している。高校一年生必修の科目は、ひとまずおくとして。問題なのは、高校二・三年生が対象となる「論理国語」と「文学国語」の区分がきわめて恣意的で、しかも硬直的なことである。説明会の報告を伝え聞いても、イメージが浮かんでこないのだ。


文科省の担当者の説明会での発言によると、「エビデンスに基づく文章」を「論理国語」ではとりあげなさい、それ以外のものは相応の理由説明がないと認められません、というもののようである。

 知人の元保険会社の会社員だったという人に聞いてみたら、それは若い頃に社員研修で徹底的に叩き込まれた事だから、そういう会社の研修で教えるようなことを学校で高校生に教えろということなのだろう、と言っていた。 (※ この節は9月26日の追記。)

 つづめて言うと、従来なかった教科書を今度の文科省の「論理国語」ではもとめているようなのである。しかも、入試問題の作成のレベルも含めて、取り扱う文章の内容の全面的な改変を迫るものであることは確かだ。そのために何をしなければならないのかは、自分で考えろ、というのが当局の指示である。そのための時間は限られている。この要求にただちに対応できる出版社は、たぶんない。

これでは、まるで江戸時代だ。官僚の口頭による指示が、事実上の法律となっている。これが教科書検定の現場の実態である。


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