姫野雅義(63)さんが、亡くなりました ・ ・ ・
姫野さんは、建設省(当時)が進めていた可動堰計画に疑問を感じ
1993年に住民運動を始め5年後には、「吉野川第十堰住民投票の会」
を発足させた。約10万人の署名を集め、2000年1月の住民投票では
反対票が9割を占めた
今年3月、姫野さんと面会した前原国交相(当時)は
「可動堰化は選択肢にない」と明言。「目的を達成した」として
5月には「吉野川みんなの会」を解散し、
第十堰の保存に向けての活動を始められていました。
私はもともとカヌーイスト野田知佑さんのファンで、その流れの中で
姫野さんの存在を知りました。姫野さんの本職は司法書士さんですが
講演では山や川のことを専門的に分かり易く、そしてご自分の思いを
凛とした口調で話され、聞き入ってしまいます。
第十堰の反対運動と共に子供達に川の楽しさ、豊かさ、怖さを知って
もらおうと、2001から川ガキ養成講座「川の学校」を始められ今年で10期目、
スタッフのお兄ちゃん、お姉ちゃん、そして誰より楽しそうに本気で遊ぶ
姫野さんらのおっちゃんの仲間、モジモジしていた子供達がどんどん逞しく
なっていきます。既に300人の川ガキたちが全国に散らばっています。
この川ガキ達が未来の日本の川を救ってくれるものと期待して ・ ・ ・ ?
http://www.yoshinogawa.info/school/index.htm
でも姫野さん、ごめんなさい。
我が家にも、1匹、第4期の川ガキがいますが、あきません!
川に関心をもつことはなく「川の学校」は楽しかった思い出に
なってしまっているようです。
その姫野さんが、海陽町の海部川でアユ釣りに出かけ、帰らぬ人と
なりました。捜索には県内だけでなく東京や秋田からも、姫野さん
の知人ら約50人が駆けつけ、京都の大学生が下流で姫野さんを発見。
吉野川に生息する、おっちゃんらがこれからのどんな爺ちゃんに
なっていかれるのか楽しみにしておりました ・ ・
川を愛し、川を知り尽くした姫野さんが、川で亡くなるなんて
本当に悔しく悲しい ・ ・ ・ ・
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大人の「川の学校」に参加した時、沈下橋から