カッコ悪い自分で生きる覚悟をしたつもりですが、いざとなるとなかなか手ごわい物なんですねσ(^◇^;)
ちょっと集まりがありまして、そこでちょっとばかりハイテンションになって、
あ、今、恥ずかしいこと言っちゃった。ヾ(・ω・`;)ノぁゎゎ
うわ、今の発言、私、偉そう!
何様って思われたかもΣ(゜Д゜;≡;゜д゜)
などなどがありまして、
カッコ悪い自分で生きるって、こういう自分をさらけ出していくって事なのね。
覚悟が中途半端だと心が折れるかも・・・なくらいの事のようです。
だから、なかなかできない事なんですよね。
同じ苦しみを味あわせたくない、と言う話を以前書きましたが、それに似たお話。
長女に
「学校へ行け」とか
「働け」とか
「働かない奴は家に置いておけない」とか
言えない。
自分も高校へ行きたくない時期があった時、学校へ行ったり行かなかったりしていたのですが、
結局、ちゃんと学校へ通い出したのは、
「学校にも行かない、働きもしない奴は出ていけ」
と親に言われるのが目に見えていたので、行きだしたわけで、
そう言われるのが怖かったのです。
安心して暮らせる家ではなかったし、家族としての気持ちも希薄だったので、
それぐらいなら、ちゃんと高校を卒業して、堂々と家を出ようと思ったのです。
一人暮らしをするにはやはりお金がかかるし、高校を卒業して、ちゃんとしたところに就職すればやっていけると思いました。
それでちゃんと高校を卒業出来たのはよかったのですが、そういうひねた心で成長していったので、就職してからもつらかったりして、・・・。
つまり、高校へ行けとか働けとか、言うと、私のようにツラい思いをするのではないかと思ってしまい、
言わないでいると、今のただ家にいてゲームをする日々が永遠に続くのではないかと思ってしまい、
結果としてどちらにしても怖いんですよね。
でも、私と長女は違う人。
同じ道をあゆむとは限らないんですよね。
昨日の続きです。
自分の都合によかったからそうしてきた面もありますが、さらに、子供に自分がしてきた苦労をさせたくなかったという思いもあります。
母である私が、子供の荷物を肩代わりして、担いで苦しんでいた。
もうそれも止めましょう。
実際、少しでも肩代わり出来てるならまだ救いがあるけど、出来てない上に子供のためになってないし、さらに自分が苦しいなて、ね~・・・( ̄。 ̄;)
なんにもならないですよね。
人間、一人に一つの命しかないように、自分の荷物しか背負って人生歩けないのでしょうね。
子供の荷物は子供の物。
私は私の苦しい道を歩いてきた。
子供は子供で自分の道を歩いていってもらう。
子供には子供の人生で苦しんでもらう。
もうほっとく。
前から性格が似てるところはあると思っていたんですけど、
長女は昔の私そのものかも、とふと思いました。
なので、
そうかあ、長女は昔の私なんだあ
と思ってみることにしました。
昔の私、
家族が大変なときでも、なんだか他人事でした。
とにかく自分のことに一生懸命でした。
自分の勉強を一生懸命頑張るとか部活を一生懸命頑張るとかじゃなくて、
何か、人でも物でも事でも、何かで自分を幸せにしたくて、もがいていたように思います。
家は貧乏だったし、父は乱暴者、母は愚痴っぽく、家族は当てに出来ないと思っていました。
だからといって何かあるのではなく、自分に自信もないし・・・。
部活などで友達が出来ても、深く仲良く出来なくて、なんだか空っぽな自分みたいに感じたり。
長女もそんな感じで生きてるのかも・・・?
でも、今の私は結構幸せ。
あの私から、今の私への道。
もっと早く開き直っていたら、もっと早い時期から今みたいに人生楽しめたかもしれないのにな~。
悔やまれることが多いけど、そこまで気付けなかった私がいまの私なんですよね。
つまり、今幸せな私が、そういう私。
昔の私へ
辛かったね。
お疲れさま。
あなたが耐えてくれたから
今の私があります。
自信とは、
かっこ悪い自分をさらけ出して生きていく勇気を持った人が感じる、前向きな自己肯定感
なのではないかと
ふと、思いました。
毎日暑いですが、皆さんも体に気を付けてお過ごし下さい。