癒やされるかもしれない研究所日誌

人生とか人間関係とかお金とか、そんなことを考えて思ったまま綴っています。スピリチュアルなことも多いです。

楽しいって、なんだっけσ(^◇^;)

2014-03-26 10:00:00 | 日記

長女が産まれた時、親が楽しそうに生きていなかったら、子供は
「せっかく生まれてきても、人生って楽しくないんだ」
と思っちゃうといけないと思っていました。

 



でも、子供に胸を張って、
「お母さん、楽しい人生やってるよ」
とは言えない。

その10年後、長女&次女の不登校でしんどい思いをして、人生楽しまなきゃ損だ、と改めて思いました。

その時、以前自分が働いていた時のことを思い出しました。

その気になれば、色んなことにチャレンジさせてくれる職場でした。

でも、当時の私は引っ込み思案で自信もなくて、ほとんどなにも新しいことに挑戦してきませんでした。

じゃあ、これからは、色々挑戦しよう。
楽しいこともいっぱいやろう。
と思いました。

楽しいつもりでした。
やりがいもあるつもりでした。


長女が不登校になり、高校を退学して、そして今…。

なんだか私が追いかけていたものって、何か違う気がします。

楽しいって、なんなんでしょうね。


あ、別に鬱っぽくなってるわけではないので、ご安心を(^_^)


「怒り」とは

2014-03-25 10:00:00 | 気付いたこと

以前は、「怒り」はダイレクトな感情だと思っていました。

でも、ある時読んだ本で、「怒り」の前に心の動きがあって、そこから「怒り」が誘発されるという感じの話しを読みました。

怒りの前には、
裏切られた悲しさ
傷つけられた痛み
悔しさ
嫉妬
などなど、

そういう感情の動きの後にくるようなのです。

それが分かるようになると、自分の本当の気持ちが分かりやすくなるみたいです。

妙に納得して、腹が立った時はそういうことに気を付けるようになりました。


長女、またまた、バイトを探しに行く

2014-03-24 10:00:00 | 不登校

3月中旬、カウンセラ一の先生に、やっぱりバイトをすると言ったようで、その場でバイト探しをすることになりました。

近くのコンビニで、バイトの求人情報誌を何冊かもらってきて、3人でどれがいいかと探しました。

しかし、家からはどこへ行くにも不便で、結局情報誌からは家から通えそうな所は見つかりませんでした。

他に通えるところでレジくらいなら年中募集していそうなのは、夏頃、長女がアポなしでふらりと行ったスーパーか、乗合バスから市営バスに乗り換えてもうひとつ先のスーパーくらい。

長女は、夏に行ったスーパーは行きづらいからイヤだと言ったのですが、土壇場になって、交通費を極力押さえたいがために、やっぱり夏に行ったスーパーヘ行くことに決めました。

今回は履歴書も用意し、事前に面接の申し込みを電話でしました。

さらに当日は、休学中にもかかわらず、高校の制服も着て行きました。
今年度いっぱいで高校を退学するつもりなのにいい度胸です。


面接に行ってみると、店長さんが変わったようで、夏に一度バイトの申し込みに来たことはバレずにすみました。
それどころか、履歴書を持って面接に来た高校生は初めてとかで、印象が良く、おかげで即採用になりました。

でも、退学することは伝えていないようです(・_・;)


再び不登校 カウンセリングを受ける 2013年

2014-03-22 10:00:00 | 不登校

夏前に、高校生になった長女が不登校になって、近所の人に、長女にカウンセリングを勧められました。

 

でも、カウンセリングも、先生との相性があるようなことを聞いたので、どこへ行ったらいいのか迷っていました。

 

おまけに、当の本人が行きたがらないし。
小学生時代の不登校の時も、カウンセリングを勧めたけど、嫌がってました。

 

そういえば、小学校時代行っていた適応指導教室では、お昼ご飯の時間など、となりの教育相談の心理士の先生も一緒にお弁当を食べたりしていたので、まったく知らない先生と会うわけでもないのに、長女も次女もカウンセリングは敬遠してました。

 

とりあえず、周りの人に色々聞いてみると、いくつか候補が上がってきたので、取りあえず2ヶ所私が行ってみました。

 

結局、あっちでもこっちでも同じ事を話すのもしんどいので、初めに行った方に絞りました。

 

そこの先生は、おじさん先生でした。

 

何ヶ月か私が通って、長女の近況等を話していました。

 

秋頃、本人にも会って話してみたいということでしたが、私は、
「先生は、おじさんだしなぁ。若くて優しげな女の先生なら長女も少しは来る気になるかもしれないけど」
と思っていました。

 

しかし、おじさん先生は、ビデオレター攻撃・お手紙攻撃で長女を先生のところへ来る気にさせたのです。

 

ビデオレターも手紙も別に凝ったものではなく、手紙なんてほんの一言だったし、カウンセラー恐るべしです。

 

その先生のところへは冬前から2週間に1回ペースで通っています。

 

行くとたいてい、ビリヤードをして世間話をするようです。

 

今では、その先生に会いに行くのが楽しみなようなんですよね。

 

すごいなー(・・;)



不登校 カウンセリングを受ける 2008年

2014-03-20 00:00:00 | 不登校

2008年、子供達が行っていた適応指導教室の隣は、市の教育相談所がありました。

 

臨床心理士とかの先生が何人かおられて、子育てについての悩みに電話や面談で相談にのってくれます。

 

そこへ相談に行くのは、親だったり、子供本人だったり、時には学校の先生が利用する事もあります。

 

次女が不登校になって、学校の勧めで、次女と2人で話をしに行きました。

 

すっかり外では喋らない子になっていた次女は、そこで箱庭を作って遊びました。

 

箱庭が楽しかったようで、それからしばらく、家ではシルバニアファミリーが大活躍しました。

 

ホームセンターによく売っている3段カラーBOXをシルバニアファミリーの家にしていました。

 

しかし、相談所での箱庭も飽きちゃったり、他の遊びもイマイチ興味を持てなかったり、先生がおじいちゃん先生でちょっと怖そうだったりで、すぐ次女はそこへ行きたがらなくなりました。

 

そのすぐ後に、おじいちゃん先生は定年退職されて、若い女の先生になりましたが、私も気分が優れなかったりすると行く気も失せるので、夏前には行かなくなってしまったように思います。

 

 

 

おじいちゃん先生とのカウンセリングで心に残ったことがあります。

 

次女は学校へ行っていないのに外で遊んでいると、クラスメ一トに何か言われるのではないかと心配で外で遊べないのですが、小学2年生が外で遊ばないなんて、健康の面からも心配、というような事を言ったら、

 

「そこはお母さんがうまく言ってあげましょう」
的なことを言われました。

 

要は、嘘も方便てことですね。

 

今こうして振り返ると、私もだいぶ生真面目でしたね(^-^;

 

若い女の先生に変わって、しばらく遠のいていたカウンセリングも、私だけですが、秋頃からまた行くようになりました。

 

辛抱強く話をよく聞いてくれる優しい先生でした。

 

この先生に言われたことで、印象に残っているのは、

 

「相談をする相手はなるべく少数に絞る」

 

ということです。

 

当時は本当にどうしていいか分からなくて、引っ越し先でできた友達や自分の親・兄弟、地元の友達など、手当たり次第相談していました。

 

自分がしっかりしていればいいのでしょうけど、色んな人に相談すると色んな答えが返ってくるわけで、結局それらに振り回されて、かえって考えがまとまらなかったり、混乱したりするので、というわけです。

 

 

 

カウンセリングを受けて、他に印象に残ってることを昨日から思い出そうとしているのですが、思い出せません。

 

思い出せないのではなく、インパクトのある事を言われてないのかもしれません。

 

見方を変えると、私はよいカウンセラーさんに出会えたということではないでしょうか。

 

たぶん、カウンセリングとは、カウンセラーさんが相談に来る人に色々教えて導くのではなく、話を聞いてあげて、それとなく本人に行くべき道を自分で考えさせる、そういうものなのかもしれません。