この中の、
「すごく見せてる人がいっぱい」
って文章が刺さりました。
なんてタイミングいいんだ。
私もまさに「すごく見せてる人」(つд`)
すごいと思われたい人。
何のために自分をより高めようとしてたかと言うと、
自分てすごい
じぶんてかっこいい
って思いたかったからのようです。
もっともっとよりよい自分になりたい。
ひっくり返すと、
今の自分ではまだまだ!
それはなぜおこったのでしょう?
なんでそう思いたいのか?
つらつらと考えてみると、出てきたのは、結局「母」でした。
お母さんみたいに、つまらん人生・苦労ばっかりの人生・楽しくない人生なんて絶対イヤだ。
絶対ああいう風にはなりたくない!
じゃあ、なんであんな風になりたくないのかな~。
ちょっと突き詰めて考えてみました。
うーん、
まあ、誰だって不幸はイヤですよね。
でも、知らず知らずのうちに、そう望んでそれが叶ってる状態で、実は自分の希望してる人生って可能性もあるよね。
これみたいに。
そう思うと、そっかあ、あれでお母さんはいいのか・・・。
ん?
私、お母さんが不幸なのがイヤだったのかな?
お母さんが手に入れられなかった幸せの分まで私がgetしようと頑張ってた?
え、なに、かわいいの。
子供みたい。
まあ、確かに、あの母の子供ですけどさ・・・。
えー(°°;)
これがホントなら、すごい、面白い。
いや、切ない?
いや、でも、笑える。
心屋仁之助
「なんかしらんけど人生がうまくいく話」
という本。
その中で、
「自分がやりたかったことを子供がやって見せてくれている」
という話が出てきます。
その中で、お母さんに、暗く弱々しくしてて下さいってアドバイスしてる部分があるのですが、
それを読んで、
そっか、私も暗くしてていいんだ。
と思いました。
やっぱり、母たるもの、子供達の太陽でいなければ!みたいなこと思ってたし。
そんな感じで、
何もしたくない、向上心もない娘に教えられてることは、ホントは私も何もしたくないし向上もしたくないということなのかもしれない。
う~ん、でも、
向上心があるのはいいことだよね?
あれもこれもやりたいからやろうと思ってたけど、
チャレンジ精神大勢なのは良い事じゃんと思ってたけど、
どうしてそれらをやりたいのかと言われたら、
出来たらすごいし、かっこいいし、
・・・・・・。
ということは、
私、別にすごくならなくていい、かっこよくならなくていい、今のままでいい、ってこと?
えー。
向上心があるとか、チャレンジ精神大勢なのは良い事だと思ってたけど、
私の場合、いらなかった?
それらをしなくてもいいってこと?
人にすごいと思われなくても、かっこいいと思われなくても、やりたいと思えることは、ホントに自分がやりといことだと思ってたけど、
実はもっと根が深くて、
自分で自分のことを、かっこいいとか、すごいって思いたいためにやることも、ホントに自分がやりたいことじゃないのかも!
がーん
それは考えたことなかった。
自分で自分に自信を持たせるために、色々チャレンジしてたのか。
え
てことは
つまり、
自分で自分が一番、ありのままの自分を認めてないってこと?Σ(・ω・ノ)ノ
それを長女に教えられていた?
Σ(・ω・ノ)ノΣ(・ω・ノ)ノΣ(・ω・ノ)ノ
例えば、Aさんは、頑張らないとご褒美もなにももらえないと信じている人です。
でも世の中には、頑張らなくてもご褒美でもなんでももらっちゃっえるものと信じてる人もいるらしい。
Aさんにはそんな世界観が信じられません。
でも、そう言う世界も実はあるらしい。
そこに気付いても、
「いや、あの人は特別なんだ」
とか理由をつけて、自分にもそういう世界で暮らせることが信じられない。
頑張らなくてももらえる世界を、頭で分かってるだけじゃなく、実感として信じられたら、
それがよく言われてる、前提を変えるって事だし、
ちょっと前の心屋さんのブログにあった、10階から38階の住人になっちゃえるということだと思う。
なんて言うか、頭では分かったつもりと、実感するとでは随分感じが違うと思います。
実感て大事なんだな~と妙に納得しました。
けっこう頭で理解しようとしちゃう私なので、この感覚は忘れないようにしたい。
昔、子供の時、
「人は、頑張って色々勝ち取って生きていかないといけないものなんだな」
と思って、
頑張って色々getしてきましたが、
今、
「そうじゃないよ、そんなことないよ」
と語りかけられている気がする。
ここまでこないとそれに気付けない設定だったのか、
ずっと語りかけられていたけど気付かなかったのか、
分からないけど、今、その思い込みを全部ひっくり返してみたいと思う。