寄り添ってみました。
で、ふと思ったんですけど、
いやよいやよも好きのうち
じゃないけど、
心屋さんとこでもよく言われてるけど
キライって
ほんとは好きってこと?
ホントは好きになりたかったのかも、学校を。
学校でふざけてしょっちゅう怒られて、でも平気な男の子みたいなことしたかったのかも。
勉強なんて楽勝で、授業中「はい、はい」って手を挙げれる子になりたかったのかも。
ああ!
始めは幼稚園へ行くより、
本当は、お母さんと一緒にいたかったのかも。
お母さんと一緒にいたい → だから幼稚園なんて、学校なんて、行きたくない
になったのかも。
いやいや行ってる幼稚園や学校だから、
先生は怖いし、
クラスメートは意地悪な子がいるし、
と、イヤなところばかり目に付いたのかもな~。
お母さんと一緒にいたかったかあ。
うわぁ、ちっちゃい私、
なんて可愛いんでしょう(//∇//)
そもそも、働きたくない理由の3分の1くらいは、
子供時代にずっと家にいたい、どこにも行きたくないという思いがあったから、今こそ、それを実現したいのだと思います。
で、残りの3分の1の理由は、
職場での人間関係が面倒だったらイヤだから。
人に嫌われたくないし、傷つけられるのもイヤだし。
面倒くさいことに巻き込まれるのもイヤだし。
で、最後の3分の1の理由は、
働いてると子供の送り迎えや学校行事などにあわせるのが大変だから。
そんなところかな。
結局、子供の頃から引きずっている物が、今、私が働きたくない理由の3分の2を占めているということですね。
心屋さんの本やブログでよく登場する
「拗ねてる」
ずっとピンと来なくてですね、私は「拗ねてる」んではないと思っていました。
でも、ふと、そもそも、「拗ねてる」ってどういう状態なんだろう?と思いました。
ちょっとプイっと怒ってる感じ。
ふんって、あっち向いて怒ってる感じ。
で、時々、チラッとこっちの様子を伺ってるみたいな・・・。
いや~、私はないな~、そんなんじゃないわ~。
と思ったんですけど、
じゃあ、「いじけてる」は?
と言う考えが浮かんできました。
心屋さんでは、「拗ねてる子」と「いじけてる子」は同じ扱いだと思う。
私はいじけてるかも。
親が怖かった
家は貧乏だし
学校は先生も怖いし
クラスメートには気が強くてつきあいづらい子もいるし
特に勉強とくいってわけでもなく
スポーツができるってわけでもなく
それどころか鈍くさいし
などなど。
いじけまくって生きてきたかも。
心屋さんがよく拗ねてるって言う部分を、いじけてるに変換したら、すっごい私のこと言われてる~って感じかも。
最近、怒るのも大事と思ったので、怒れるときは、素直に腹立たしさを味わってみました。
この腹立たしさを、直接相手にぶつけるのではなく、自分の中でとりあえずじっくり見てみるという感じです。
そしたら、ふと、
長女が高校に入学して、勉強はつていけないけど、良いお友達ができたりして、でも、めんどくさそうに学校げへ通っていた一昨年の5月頃、
長女が小学生の時、もっと、本人が学校へ行くと自分から言い出すまで待ってあげれば良かったな~、
可哀想なことしたな~。
と痛切に思っていました。
次女は本人が行くと言い出してから行き始めて、
その後も色々ありながらも、それでも不登校だった子とは思えないくらいになりました。
だからなのでしょうね。
そんな風に思ったのは。
で、そんなことを思い出したら、
子供をかわいそうって思ったらダメよね、という考えが浮かんで、
そういえば、次女が学校へ行こうかなって言いだした頃にも、そんなことを思ったような気がします。
私自身も学校が嫌いだったから、子供が学校へ行きたくない気持ちも分かるから。
私が嫌いだった学校に子供が行く。
イヤだろうな~、学校なんて。
可哀想に。
私がツラくなっていました。
前に、子供の荷物まで背負い込まないようにしようと、ブログに書いたことがあるけど、それと似てる。
でも、ちょっと違うんです。
なんていうのか、
自分のつらさを、子供に映して見ている、みたいな・・・。
そして、イヤだよね~、イヤだよね~、学校ってイヤだよね~って、言い続けている感じ。
結局、学校が嫌いという思いが、未完了のまま今に至ってるということ?
長女は今月からバイトに週2日は確実に入ることになりました。
あとは、バイト先から頼まれたら入るってかんじです。
今年は従兄弟たちにお年玉をあげることができました。
もう学生ではないのでお年玉をくれるのは祖父母だけになってしまいましたが、
バイト代の残りと合わせて、newニンテンドー3DSを買ったり、ゲームのソフトを買ったりして、
バイト以外はゲーム三昧です。
そういえば、
週刊ジャンプを買ってもらうための勉強も続いています。
そんな風に暮らしている今日この頃です。