癒やされるかもしれない研究所日誌

人生とか人間関係とかお金とか、そんなことを考えて思ったまま綴っています。スピリチュアルなことも多いです。

本当にしたいことと前提

2021-04-20 20:35:08 | 気付いたこと
先日、本当にしたいことはどっちでしょう、っていう記事を書いたけど、



ずっと以前に書いた記事に通じるなーとおもった。



すべてが満たされていたら何を選ぶかってことだと思う。



洗濯物を干すのが面倒だから家政婦さんがいたらいいなと思うけど、



私に、時間・体力・気持ち・経済的余裕があったら、


身の回りのことを自分でして、楽しみたいと思うと思うのです。



上司がイヤだから仕事を辞めたいと悩んでいる人も、時間・体力・気持ち・経済的余裕があったら、



そもそも上司に腹が立たないかもしれないし、



やっぱり上司がイヤだとなったら、悩まずにその職場を去ると思う。




結局、自分の中の自分に対する前提が、本当の望みを見誤らせるのだと思う。















さて、本当にしたいのはどちらでしょう

2021-04-17 21:04:59 | 気付いたこと
洗濯物を干していました。


洗濯を干すのは嫌いじゃないけど、こう毎日(それも一回では終わらない)だと嫌になる。



たまには娘たちが干してくれたらいいのに。


ちょっとイライラ


こんなとき家が大金持ちで家政婦さんがいて、すべての家事をやってくれて、


私は編み物でもしていられたらいいのに



と思ったけど、



本当にそれが望んでいることかな?とふと思った



編み物はもちろんしたいし、家事を代わってくれる人がいてくれたらうれしいけど、



今回の場合



いつも楽しい気持ちで洗濯物を干せることが、私の本当の望みなのでは?



と思った。



だから、もしかしたら、



上司が厳しいから仕事を変えたいと思ってる人も、



ホントは、



変えたいのは仕事じゃなくて、



厳しい上司に一言も言い返せない自分を変えたいのかもしれないよね。




なかなか深い、と思った本日二度目の洗濯干し中の私でした。







心の奥底の望みってこういう感じ?

2021-04-10 17:50:05 | セッション・講座
以前お世話になったタカハシミナミさんが、チャネリングメッセージ企画をされていたので申し込んでみました。



このSNSやオンラインの時代に、お手紙で届くというのがまず新鮮でした。



お手紙には、「自然の中へ行きたがっている」ということが書かれていて驚きました。



というのも、三月下旬から仕事で外の作業が増えたのですが、



幸い天気のよい日が続いて、春のちょうどよい気候のなかで、さらに私の職場はスッゴい田舎なので自然がいっぱいなので、



ホント気持ち良かったんです♥️




基本インドア派なんですけど



ウキウキするっていうか、呼吸が気持ちいいっていうか、命の洗濯になるっていうか、



やっぱり人間は自然の中で暮らさないとダメだよねとか真剣に思いました。



それ以来天気のいい日は、昼休みも休憩時間も外で過ごすことが増えました。



風邪に吹かれているととっても幸せな気分になるのです♥️



だから、ミナミさんのお手紙にはとても共感したし、



なーーんだ、これが「私の心の奥底の望み」っていう感覚なんだと認識できました。




心の奥底の望みって、なかなか気付けないもので認識しづらいものと思ってたけど、



たぶん誰でも普通に感じているんじゃないかと思います。




そんな気付きも与えてくれたタカハシミナミさんのブログはこちら↓


4月は締め切られていますが、来月も再来月もチャネリングメッセージ企画がありますよー。





人類は2種類いた

2021-04-08 17:51:28 | 気付いたこと
ある人がセッションを再開するにあたり、無料セッションを募集していたので、久しぶりにお話し(といってもLINEのやり取り)したいなーと思っ
て申し込んでみました。




それで色々相談内容を書いているうちに、男女の脳について新しい考えが出てきました。



私の個人的な見解なので、そういう風に思う人もいるのかーくらいに聞いていただけるとうれしいです。




あと、今はジェンダーフリー等については置いておいてください。





話は十年くらい前に遡るのですが、




一緒に歩いていた男性の上司が、ジョギングをしている60代くらいの男性を見て、


「俺も将来はああいう感じになりたいなーー」って言ったんですよ。


てっきりあのくらい健康的に年を取りたいということかと思ったら、


「俺はロマンスグレーに憧れている。歳をとってもいい男でいたい。お前も歳をとってもいい女でいたいと思うだろ?」



みたいなことを言われ、いい女やいい男という性別にとらわれるのはナンセンスな気がしました。



そもそも、いい男いい女である前に、人としてのあるべき姿を追求する方が大事なのでは?というのが私の考えでした。




今もそれは大事だと思っていますが、




当時私が思っていたのは、人間は1種類で、そこから男性と女性に枝分かれしたというもの。

こういう感じ↑



でも本当は、そもそも人類ははじめから2種類いた!ということなのではないかな。
つまりこういうこと↑




基本的な人間としての部分も、結局、男脳フィルターや女脳フィルターがかかっているので、



男女共通と思われていた部分すら厳密に言ったら共通ではないということなのかもしれない。



昔、「人生で大事なことは幼稚園の砂場で学んだ」という本があったのをご存じですか?



人生で当たり前だけど大事なルールは幼稚園で言われるような



・他の人をいじめてはいけない
・他の人のものをとってはいけない
・他の人に親切にしよう
・挨拶をしよう
などなど


そういうところから色々書かれている本だったと思うのですが(あんまり覚えてない(笑))



そういうことは、男女の区別なく同じ感覚で認識していると思っていたけど、



本当は、もしかしたら、


それすらも、男脳・女脳のフィルターがかかっているんじゃないかと思ったのです。



だから例えば、


弱いものいじめをしない



ということ一つとっても、



男性だったら「正義感」からそう思ってるかもしれなくて、



女性だったら「優しさ」からそう思っているかもしれない。




人によっては、「だから?」って言いたくなるような話かも知れないのですが、



男性と女性のすれ違いって、結局そういうところから起きているのかなと思いました。



よく、異性は宇宙人とか火星人と思えというような話も聞きますが、その通りなのかもしれないなーーと思いました。