癒やされるかもしれない研究所日誌

人生とか人間関係とかお金とか、そんなことを考えて思ったまま綴っています。スピリチュアルなことも多いです。

コロナと腐海

2020-04-27 12:53:00 | 気付いたこと
普段からマスクをする生活になってしまった今日この頃。


ふと、風の谷のナウシカを思い出しました。


ナウシカの世界では、腐海というところに行くときはマスクが必要でしたが、


こちらは地球上の生活圏でマスクが必要。
家の中ではさすがにつけていませんが。


腐海は地上を浄化すために生まれたようですが、コロナも気付けば、人間の活動を押さえて空気をキレイにする働きをしていました。


「きれいな水があれば腐海の木々も毒を出さない」とユパ様にナウシカは言っていました。


そういえば、コロナの被害が多いところは、大気汚染もひどいころだという指摘をどこかで見たことがあります。


きれいな空気のところでは、コロナも大人しいのかもしれません。



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神様は全知全能ではない

2020-04-25 21:53:00 | スピリチュアル
私の叔母は、とある宗教で熱心に活動していた人で、私が子供の時にその考え方をいろいろ教えてくれていました。




あ、念のために言っておくと、私はその宗教の信者ではありません。




叔母も無理に勧めてくることはありませんでした。




私は昔からスピリチュアルに興味はあるけれど、若いときは特定の神様を信じることはなかったし、




今では、神様って結局「宇宙人」だよねーって思っています。






で、その叔母さんに教えられたことで一番大きいのは




「神様は全知全能」




ということ。






で、ここからは私の独自解釈なのでご注意くださいね。





叔母さんは、「神様は全知全能」といったけど、




私の思う神様は宇宙人なので、なんだか「全知全能ではない」と思えます。




つまり「宇宙人は全知全能ではない」が私の考えです。


そう言っても、宇宙人は人知を超えた存在だと思うし、人間よりはるかに次元とかレベルは高いと思っていますが・・・。






そんな私ですが、それでも、全知全能なものがあるあると思っています。




それは、









「無」を「もの」といっていいのかどうかもわかりませんけど、




神様(宇宙人)でも太刀打ちできない存在が「無」だと思っていま。


まあ、でも、無が全知全能というよりは、完全無欠の方が近い気もするけど、


それは置いといて、





じゃあ、「無」ってなに?っていうことなんですが、




いま私たちがいる世界は「有」の世界だと思うので、その正反対の場所が「無」だと思っています。




これが私のスピリチュアルとか宇宙論の基本です。


ええ、あくまで私の見解~(*´∇`*)





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コロナ

2020-04-21 15:30:00 | 気付いたこと
皮肉なもので、

コロナのせいで外出制限がかかってから、世界各地で二酸化炭素排出量が減ったとか、大気汚染が改善したとか・・・。


地球は今やっと息苦しさがなくなって、深呼吸できるようになってきているのかもしれません。



コロナは地球からの逆襲なのでしょうか?


アセンションとか水瓶座の時代になるからとか、色々言われてるけど


正直私はなんでこうなってるのかわからないです(^_^;)


でも、これは何百年か何千年か何万年かわからないけど、そのくらい貴重な地球全体のターニングポイントだと思うのです。


そしてそう感じてる人はたくさんいるはず。



コロナで全人類大ピンチですが、ピンチはチャンスなのです。


ピンチはチャンスなのです
私自身が困ったとき、この言葉が励みになることがあるので2回言ってみた(笑)


どんな世界がやって来たらみんなが幸せに暮らせるようになるでしょうか?


今の世の中、生きていくために働いている人が多く、楽しそうに生きている大人って少ないですよね。


だから、楽しそうに生きている人がたくさんいる世界になってほしいです。


それから、


人間には自然と調和した立ち位置に戻ってほしいな。


今までは、我が物顔で地球上にいました。


人間が地球をも支配してる感じだったけど、


そうじゃなくて、地球もカブトムシも人間もチューリップも栗の木も


みーーんな横並びっていうか、


カブトムシが偉いとか人間が偉いとかじゃない世界がいいなーー。


すべてが循環の輪の一部分、


そんな世界が実現したらいいな。




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スピリチュアル感覚の磨きかた

2020-04-18 17:43:00 | スピリチュアル
去年の今頃と言えば、


神農たんチャンネルのあやのさんに一言メッセージをもらったり、


世界にyesと言おうの優花さんにセッションしてもらったり、


スピリチュアルに向かいだした頃でした。



それまでも、スピリチュアルには感心があったけど、そういう感覚は私にはないので、どこか別世界の話のような気がしていました。


ちょうどその別世界に足を踏み入れた感じでしたが、まだまだ自分の感覚はでも、信じられていませんでした。



でもそれがきっかけとなって、スピ系の色々に関わっていくことに・・・。



そうして昨年12月頃、


自分が感じたことは、それが正解!


というのを説かれ、実践していくことになりました。



私の場合、妄想や思考との区別がつかないからそれってどうなんだろうと思っていましたが、



それでも、やっていくうちにだんだん区別がついてくるものらしい、ということが分かってきました。


あれから5ヶ月くらいたちました。



すごーーくスピ能力上がったよ、ということはありません( ̄▽ ̄;)



インスピレーションとただの妄想・思考は、確かに違いがある。



ということは言えるようになりました。



まあ、違いって言うのも何か違う気がするんですが・・・。



私はそういう感覚がないからって、受けとり拒否してると、自分に来ているものを精査する機会がありませんが、



受け取ってみることによって、それらを見つめる事をするようになるので、


それによって、あれ、この間のアレとはなんか違う?のような気付きがやって来ます。



今もどっちがどっちか分からないことも多々あるけれど、


やってみる価値はあるのです。




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木々が呼びかけてる

2020-04-14 00:17:00 | 気付いたこと
過去の鬱体験に焦点を絞ったブログをはじめまして、今記事を書いているところなのですが、



そのなかで思い出したことがあります。



当時、鬱から早くに脱したのですが、適応障害で鬱の薬や睡眠導入剤を服用していました。


そんなとき、子供を連れて近所の河原へ散歩に行きました。



そこは買い物や幼稚園の通園でも通る場所なのですが、



その日はなぜか、いつも見かける河原の並木(たぶんポプラの木)がざわざわと大きく揺れているのがとても気になりました。



ふと、それは、私になにかを呼びかけているように思えました。



当時も私はスピリチュアルには関心があったし、信じてもいましたが、



自分は霊感等の類いはないので、気のせいだと思いました。



でも、精神的に弱っていたせいもあるのと、



昔好きだった漫画のヒロインが植物と話ができるので、それに憧れていたこともあって、



「そうかもしれない」と思ってみた、




ということがあったのを、思い出しました。



今でこそ、そう思ったのならそうなんだ、と思う自分になりました。


そんな私が、今、あのときの風景を思い出すと、


やっぱり、何かしら呼び掛けられていたように思います。



「あれは私を励ましていたんだ」と解釈するといい話風でカッコいいのですが、



そうじゃないんですよね~。



何て言うか、



呼びかけられている、としか表現できない。


何かを訴えかけてきているのではなく


話しかけてきている風でもなく・・・。



あの時は、励ましてくれているのかもしれないとも思いましたが、それでもやっぱりしっくりきてない自分もいました。



もう一度、あの並木に行ったら、あれがなんだったのかわかるのかなーー。




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