あっという間の週末。
そして終末も、もうそろそろかなぁ。
若い頃は50歳とか60歳って、ものすごぉぉ~く遠く思ったけど、
その年代になっていくと、本当にあっと言う間。
20代、30代は子育て。
しかも仕事をしながらの子育てだったし、
バブル崩壊からお金に追われるような生活だったから、
もう毎日ががむしゃら。
ふと気付くと、自分は今まで何やってきたんだろう? と。
物心ついて、自分のアタマで考えられるようになって、
社会のしくみを何となぁ~く知ったあたりで、
気がつくと40歳くらいになっていた。
まぁ、Mのバヤイはオツムが鈍いからそうなのかもしれないけど、
40歳を過ぎたあたりで、やっと薄く片目が開いたカンジ。
ほんの少しの常識と、ほんの少しの知識……
体ばかり大人になって、屁理屈ばかり立派に言えるけど、
今まで何してきた? と問われると、
昨日生まれた赤ちゃんと大差ないんじゃないか……。
そう考えると落ち込むなぁ~~~~~
昨日、父の命日だった。
2年ぶりに父の納骨堂へ行った。
すぐ近くにあるのに、親不孝な娘はいつでも行けるとばかりに
いつも行かないでいた。
でも、たまに本当にたまに、父の命日くらいは行かなきゃ……と。
午前中は母が行っているはずなので、会うのを避けて午後から行った。
命日だというのに、扉は閉まったまま。
母は行かなかったらしい。
あれま……。Mだけでも行って良かった。
やっぱ命日くらいは、誰かが行ってやらないと寂しかったね。
ヨカッタ、ヨカッタ。
生きてる間に家族にしたこと、しなかったこと。
父は亡くなっても自分の妻から敬意を払われることはない。
生きているうちに敬意を払わなかった妻からの報復が今も続いている。
コワいね。
父の遺影を見ながら、
「今日、とりあえずMでも来たことをありがたいと思う?
それとも、こんな日くらいは残っている家族で揃って来なさいって思う?
期待なんてしてないでしょ? (アナタが壊した家族だもんね)」
……なんて、問いかけちゃった。
久しぶりに顔出してそんなこと言われるくらいなら来なくていいよ
という声が聞こえたような気がしたけど。
そんなことより、ここに父を安置したと言えば聞こえがいいが、
ここに置き去りにした母の身勝手さに呆れる気持ちは変わらない。
父の意向を無視して、姉やMの意見も聞かず
納骨堂という体裁を整えて、ここに父を捨てた母。
コインロッカーのような扉を開けたとたん、
母の虚栄心が中から押し寄せて息苦しく感じたのは気のせいではない。
ま、死んだあとなんて、死んだ人にはどうにもできないもんね。
死んだあとの扱われ方が、その人の生きざまにもなるんだろう。
毎日、お花を取り替えに来てもらえる人、
父のように放ったらかしされたまま、扉を開けてもらえない人。
そんなことを考えながら、日々時間が押し迫っている自分も
死んだあとの事は……わからない。
そろそろいつ逝ってもいいように身辺整理しなきゃ……。
そうつぶやくと、娘がぽつりと
「死ぬ死ぬっていう人に限って長生きだよね」
チッ!