北海道は梅と桜がほぼ同時に咲く。
今年は桜のほうが早かった? ってカンジで、
ご近所さんが梅林公園はいまが見ごろとか言ってた。
ホント??
そこらに花が咲き始めて、
木々は芽吹いてキラキラした緑が多くなってきた。
その反面、
5月は鬱になりやすいのかなぁ……。
5月病とかは昔から言われているけど、
コロナ禍になってからは、耐え切れなくなった人が、
人生をやめようと決断してしまうのかな。
5月の連休が終わった後、
学生の自殺も増えると言われてきた。
コロナ禍になってもそうなのかな。
もうコロナ前と同じように学校生活も戻っているのだとしたら、
今年も長い休みの後は同じことが起こるのかもしれない。
そこが辛かったら逃げてといつもMは思うし、
ここでも何度も言ってる。
そこから離れて。
学校に行きたくなければいかない。
その決断は死ぬことより難しいことなの?
Mはもうトシなんで、それこそ毎日思ってる。
いつまで生かされるんだろう? って。
もう子供は巣立って孫も3人いる。
しかし、何をするわけでもない毎日。
無駄に生きている気がしてならないんだけど、
自分の手で自分の人生を終えたいとは思わない。
それは、Mを信じてくれている人を裏切る気がするから。
自分一人だったら、きっと考えるかも。
でも人間って一人では生きていないから、
周囲の人のことを考えたら、そんなことはできない。
そう考えることができるということは、
たぶん精神はまだ大丈夫なんだろうね。
肉体的にはかなり劣化してきてるけど。
その日がくるまでは、
たとえ肉体的に痛くても、苦しくても、辛くても、哀しくても、
きっと頑張って口角をあげて生きていると思う。
でも、それでも落ち込むときはあるけど、
なんとか気持ちを上げようと頑張ってる。
そうしないと、せっかくまだ生きているのにもったいない気がして。
しかし、その日っていつなんだろ。
戦争や災害で広範囲に瓦礫になってしまって、
水も食べ物も薬もなくて、地獄のようになってしまった場所で、
それでも生きなきゃならないのは嫌だなぁ。
嫌だなぁといったところで、いつ何があるか分からない現代、
そうならないとも限らない。
沢山の人が死んだ後にひとりだけ生かされていたとしたら、
死んだほうがましかもって思うかもしれない。
でも自分の家族とか小さな子供がいたとしたら、
守るために苦しくても生きて何とかしようと思うかもしれない。
その時にならなければ分からないけど。
一番望むことは、寝ているうちにラクに逝きたいわってこと。
甘いかちらん。
ま、これだけは絶対っていう言葉を使える。
この世に生をうけたらいつかは絶対に死ぬってこと。
100%決まっていることなのよね。
死は。
自分の手で決着をつけるつもりなら、
いつでも終えることはできる。
でも、だからといってそんなにすぐ決断しないでほしい。
もう少し違う世界を見てからでも遅くない。
気持ちに余裕のあるときからそう考えていたら、
きっと、精神を患ったときにまだ少しの余地があるかもしれない。
そればかり考えることのないように、
口角あげてみて。
あなたが居なくなったら悲しむ人がいるってこと、
最悪を決断する前に思い出してくれたらいいのにな。