“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

維新の会「公開討論会」

2012年09月11日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き

9.8仙台ジャズフェステバルの演奏風景です。

今年中に想定されている衆議院総選挙でかなりの票数、議席を獲得するだろうという「維新の会」公開討論会の内容です。ここでも内容が評価されていますが、マスコミが太鼓もちのように無批判に持ち上げ、報道して結果です。彼らが重視している政策は教育問題、教師の統制、憲法改正、議員定数の半減などは非常に危険な政策課題です。旧自民党安倍内閣が掲げた政策と同じです。自民党の中でも保守派といわれるような政策を掲げています。
教育に対する政治の統制は過去において、自民党がやりたくてやりたくてもなかなか、出来なかったことです。歴任認識の改ざん、教科書検定の強化、教師に対する「君が世」の斉唱強要などです。彼らの狙いは非常に明確です。旧日本軍が教育勅語、教育の軍事統制を強め、戦争が出来る国家、国民、国民意識の醸成を行うことです。当然、靖国参拝も行う。中国侵略も認めない、従軍慰安婦問題もなかったと平然と言っています。このような、歴史認識の変更、否定は韓国、中国、東南アジア各国との外交摩擦を引き起こします。外交関係が悪化すれば、当然、経済問題に発展をします。それで、日本は生きてゆけるのでしょうか。
このような勢力が、どのような政策を掲げ、何をしようとしているかがほとんど報じられていません。その結果、威勢のよい既成政党批判、公務員攻撃、批判などだけが流され、面白おかしく、脚光を浴びています。関西地区でも彼らの主張、本質がよく分かっていないのかもしれませんが、関西以外では更に分からない状態にあるのだと思います。大阪維新の会の政策、本質を多くの市民、選挙民に知らせることが急務ではないかと思います。
維新の会「公開討論会」
地域政党・大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)が9日、近く結党予定の新党「日本維新の会」の党綱領とする基本政策「維新八策」について国会議員らと意見交換した公開討論会。
 出席者は「価値観が共有できた」と口をそろえたが、身内からは「緊張感がない」などと冷めた声が漏れた。
 「リラックスムードで、お見合い気分で付き合っていただければ」。冒頭、橋下代表はそう呼び掛けた。
 当初の筋書きでは、合流を目指す国会議員らに政策の“踏み絵”を迫るはずだったが、目立った意見対立はほとんどなし。傍聴した維新の大阪府議は「内定者懇談会のような雰囲気」と拍子抜けした様子だった。
 公開討論会をネット中継で見ていた新藤宗幸・東京都市研究所常務理事は「全く討論会になっていない。参加した国会議員は、最初から維新に合流を内諾している人たちで、維新八策をPRするパフォーマンスに過ぎない」と指摘。ある維新府議は「新党結成のため数合わせで集まった人たちだから、維新の政策をのんでくれれば誰でもいいんだろう」と語った。
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「今後5年は町に戻れない。生活できない状態だ」浪江町長

2012年09月11日 13時00分00秒 | 臼蔵の呟き

広野町です。ここが行き止まりです。

Jビレッジがある場所です。




青森県の自治体首長が、原子力発電「0」を容認できないといったことが報道されています。しかし、このようなおかしな発言をする自治体、自治体の首長をなくさないことには、福島第一原発事故の悲劇を再び繰り返す可能性があります。福島の浜通り、大熊、双葉、浪江なども同じでした。過疎自治体をお金の力で誘導した自民党政権は最大の悪、悪ですが、自分たちの地域をどうするか、きちんと考えるべきです。3.11以前だったら許されても、3.11以後でまだ、原子力発電所稼動、建設、核廃棄物設備を作れと要求する自治体の長を見ると「狂っている」としかいいようがありませんね。浪江町長がどれだけ苦しんでいるかを考えるべきですが。--にかに付ける薬は無いのかもしれません。

<「今後5年は町に戻れない。生活できない状態だ」浪江町長>

東京電力福島第1原発事故で全町避難している福島県浪江町の馬場有町長は10日、「今後5年は町に戻れない。『戻らない』のではなく、インフラの復旧整備もされていないので、生活できない状態だ」と述べた。
 9月定例議会の一般質問に答えた。
 馬場町長は、国の避難区域再編案について、年内をめどに受け入れる方針を明らかにした上で「低線量の区域でも、戻って生活できる状態ではない。原発も安全とは言えず、区域再編を受け入れても、軽々しく避難指示の解除はできない」と話した。
 浪江町は放射線量に応じ「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の3区域に再編される見通し。
 国と東電が示した財物の賠償基準では区域ごとで額に差が出るが、町は一律の支払いを求めている。基準によると、実際の避難指示解除が原発事故から6年たつと、住宅は全損扱いとし、全額が賠償される。
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スズキ車シェア、インドで最低水準に 暴動

2012年09月11日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き

9.8仙台ジャズフェステバル中央会場の風景です。いわき市から参加したグループです。


アメリカ多国籍企業ではありません。日本の自動車会社が、インドで操業し、工場労働者との争議で、操業率の低下=市場占有率の低下をした。考えてみれば明らかです。日本企業であろうが、アメリカ、イギリス企業であろうがインド社会のルール、インド社会の常識、地域社会に貢献する企業でない限り、従業員、地域から批判されるのだと思います。長期的には存続できないのだと思います。
日本国内で通用する大手企業の勝手な行動が、日本以外の国家で(日本企業の横暴が)通用するかどうかが問われています。多国籍化することがいいかどうかは別次元の問題です。確実にいえることは、日本のような労働者を無権利状態に誘導し、非正規労働を広げるようなことを他国で行って「いいのだ」と思うような企業は通用しないのだと思います。国際感覚が理解できない企業が、日本以外で営業、操業することで混乱を助長するだけだと思います。
日本政府、大手企業群=経団連はグローバル市場、グローバル化を声高く叫びながら、自らが理解できていない。自己矛盾です。
<スズキ車シェア、インドで最低水準に 暴動響く>
インドの乗用車市場で、スズキのシェアが過去最低水準に急落したことがわかった。10日にインド自動車工業会(SIAM)が公表した8月の国内新車販売統計によると、同国の乗用車販売は合計で18万4358台で、うちスズキ子会社のマルチ・スズキは5万129台だった。シェアは27%にとどまり、「3割割れは過去10年で初めて」(同社)とされた昨年10月のシェア(28%)をさらに下回った。マルチがインド北部マネサールに持つ工場で、7月18日に発生した大規模な暴動が響き、出荷能力が大幅に低下したため。
 マネサール工場はマルチ・スズキの全生産能力の4割を占める主力工場の一つ。暴動後、安全性の確認や原因究明を優先し、8月20日まで操業を見合わせていた。同月21日には操業を再開したが、従業員がそろわず、生産水準は以前のレベルを回復していない。
 1982年にインド市場に参入したスズキは長らく、インド乗用車市場で過半のシェアを握り、過去5年でもおおむね4~5割のシェアを堅持してきた。ただ、昨年6~10月に同じマネサール工場でストライキが頻発し、昨年度(2012年3月期)はシェアが38%となり4割を下回った。
 今回の暴動で、7月下旬以降の出荷が低迷しており、今年度入り後の4~8月の合計シェアは37%と、昨年度よりもさらに低水準にとどまっている。スズキが「インドの乗用車市場で半分のシェアを握る」とされた従来のプレゼンスを取り戻すのには、まだ時間がかかりそうだ。
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岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」

2012年09月11日 08時00分00秒 | 臼蔵の呟き











南三陸防災庁舎、陸前高田の一本松は3.11東日本震災、津波被害を受けて象徴的なものでした。震災後1年半たったところで、この奇跡の一本松を切ることになりました。海水が入り、根がやられて、立ち枯れをしていますので、仕方がないことと思います。しかし、悲しいことです。写真は今年、6月末の松の写真です。お疲れ様でした。

<岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」>

東日本大震災の津波に耐えた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」を訪れる人が絶えない。すでに枯死した一本松は、保存処理のため12日にいったん切り倒される。
 一本松周辺にはがれき仮置き場があり、津波で壊滅した旧市街地の中心部も広がる。「一度来なければいけないと思っていました。一本松の姿だけでなく、1年半たってもまだこれほど周りがひどい状態であることに、ショックを受けました」。

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