おはようございます。札幌は雪がうっすらと降りました。ゆきつ戻りの気温と春です。寒い朝でした。
自民党政権の経済政策におもねる富裕層、投資家、経団連などの意向に沿った世論作りが大規模に進んでいます。自民党を、安倍を批判すると悪いみたいな雰囲気作りが進んでいます。1990年以降の失政、景気悪化はすべて自民党政権、小泉、安倍、福田、麻生などの歴代内閣が作り出したものです。
そのことを忘れたかのごとくのマスコミなどによる自民党安倍政権の持ち上げぶりは異常ではないかと思えるほどです。自民党は憲法改悪を党綱領として掲げ、消費税を導入し、原子力発電所を電力会社に導入させた張本人です。その意味では彼らの支持基盤は経団連、大手企業、富裕層です。したがって、彼らが中小零細企業、普通の人、低額所得者などの貧しい国民のための政治を行うはずがありません。このことを自民党は徹底しています。
自民党政権に変わり、政策に関わるあらゆる階層の保守化、逆転現象がおき始めています。民主党政権は自民党野田派といわれていましたが、その野田民主党政権よりももっと悪政を進めようとしているのが自民党安倍極右政権です。
その自民党政権が最初に手をつけているのが大規模な金融緩和策、原子力発電所再稼動、集団的自衛権拡大向けての策動です。大規模な金融緩和策は円安、株高を演出しています。大手輸出企業、株式投資を行う金融機関は歓迎しています。その雰囲気と勢いに乗って、マスコミを手なずけ、原子力発電所再稼動に踏み出そうとしています。その手始めが規制委員会の新基準作りに関する関与し、あらゆる規制を骨抜きにし、実施時期の遅延化を計ろうとしています。その期間を利用して、再稼動させて、原子力発電所は稼動しているのだからと(既成事実の積み重ね)して元自らが行ってきた原子力エネルギー政策に回帰しようとしています。経団連の意向に沿い、経団連の中枢を構成する電力会社の意を受けた政策実行をしようとしているのです。そのためには国民の立場に立つ規制委員会は不要としています。
そもそも原子力発電所は科学技術として未確立な技術であり、人類にとっても弊害と害悪しかもたらさない技術です。その意味では3.11福島第一原発事故を受けてすべての原発停止、すべての原発廃炉こそが政治が決断すべき政策でした。それがアメリカ、経団連、電力会社の巻き返しの中で、野田民主党政権が再稼動に踏み切り、その不十分さから次々と後退してきたのが現実ではないかと思います。このような自民党、安倍政権による原子力行政骨抜きと、後退を許してはならないと思います。
<原発新基準案 骨抜きは許されぬ>
原子力規制委員会が原発の新しい規制基準案をまとめた。大幅強化とはいえ、一部に猶予期間を設けるなど骨抜きになりかねない内容もある。フクシマの現状をみれば、猶予など許されないはずだ。
基準案は、東京電力福島第一原発事故の教訓を踏まえて、過酷事故対策をはじめ地震や津波、火災、航空機テロなども含む網羅的な内容である。基準に適合させるには膨大な対策費がかかるため、厳格な運用に徹すれば再稼働の歯止めとなるはずだ。
例えば、津波対策では各原発で起こりうる最大級の津波を想定し、それに耐えられるような防潮堤の建設を求める。原子炉が冷却できなくなるような過酷事故対策では複数の電源車の配備を求めるほか、大量の放射性物質が大気中に放出されるのを抑えるフィルター付きのベント(排気)設備を義務づける。
活断層の調査対象を広げた、原子炉建屋内の膨大な量の電気ケーブルを燃えにくいものへ交換させる、などだ。一発電所当たり数百億円の対策費が予想され、コストや時間、ゼロとはならないリスクを考えれば「割が合わない」とみるのが普通の感覚である。
しかし、電力会社の感覚は違うらしい。円安の進行で液化天然ガス(LNG)など燃料費の一段の高騰もあって、原発再稼働に前のめりだ。安倍政権が民主党政権時代の「二〇三〇年代に原発ゼロ」方針を白紙にした追い風もある。
問題なのは、肝心の規制委の田中俊一委員長がぶれだしたことだ。委員長は先月、基準案の運用に関して唐突に私案を示し、運転中の大飯原発3、4号機には即時適用しないこと、一部については「五年の猶予」を認める考えを明らかにした。実際、基準案ではテロに備えた第二制御室など「バックアップ施設」の設置には五年の猶予期間が設けられたのである。
そもそも規制委は、既存の原発にも最新の安全対策を求める「バックフィット」の仕組みを規制の目玉としていたはずだ。それなのに大飯原発に適用しないのであれば看板倒れも甚だしい。
目前で起きている福島第一の汚染水問題や、ネズミによる炉心冷却装置停止を直視すれば、バックアップ施設だからといって猶予を認めるのは危機意識が甘すぎる。
規制委の発足当初、田中氏は「科学的な判断だけをする」と言い切った。政権におもねると見られないためには、初心に立ち返ることである。