自民党、安倍政権がどのようなことを意図しているかを良く表しています。安倍政権は、明文改憲、解釈改憲、立法改憲を進めようとしています。あらゆる形で現行憲法を骨抜きにし、天皇の元首化(国民主権の否定)、基本的人権のなし崩してきな否定、自衛隊の軍隊化、交戦権の法制化を狙っています。彼らが目指す日本は、帝国憲法による社会であり、軍国主義日本の実現であり、明治天皇政治です。その目標実現にとっての障害を1つ1つ排除する過程が今進んでいる事態です。憲法はあらゆる法律の頂点にある法律です。同時に、憲法は権力者の暴走を縛る法律でもあり、時の権力者が都合によって解釈を加え、都合よく変えるような法律ではありません。このような憲法を自民党、右翼的な勢力にとって都合よく、簡単に改正できるように改正条項を改悪するなどは許せるものでありません。
自民党が谷垣前総裁から安倍現総裁に交代する最大の理由も、憲法改悪に対する態度、その執念深さ(谷垣氏の憲法改正執念が希薄そうに見られていた)であったといわれています。安倍政権はそのくらい執念をかけています。自民党以外の日本人からみれば理解ができないくらい、彼らの現行憲法への憎悪は激しいものがあります。また、そのような人物が日本の政権中枢に多く存在していることを示しています。また、右翼的政治家、政治勢力が政界、マスコミなどで支配力を強めています。その「てこ」が今回の超金融緩和、円安、株高の演出です。富裕層の多くはこの景気回復を要求しています。そのことが追い風となり、一時的な支持率の維持になって現れています。その影で歴史の歯車輪を逆転させる動きが着々と進んでいます。
主権回復の日などを行うことで、政権主導型記念式典を行うことで、天皇の政治利用、国家行事への国民動員を日常化しようとしています。日の丸掲揚、国歌の斉唱強要などもその流れのなかで位置づけられています。不参加、服従しない国民を排除する、村八分にする。学校現場では現実に進んでいます。
沖縄は、アメリカ政権から返還されたといっても、アメリカ軍基地の中に沖縄があるといわれるくらい異常な県です。その米軍基地で次々と犯罪が起き、危険な兵器が持ち込まれています。今回の北朝鮮による軍事挑発なども米軍基地が標的にされるわけで、日本の中でももっとも、軍事報復を受ける可能性が高い地域になっています。その沖縄県民の苦しみを無視して、式典を強行する安倍政権とはなんなのでしょうか。国民、県民の思いを踏みにじり、極右勢力だけが喜ぶような政策を次々と強行する。このような政権、政治勢力に選挙で審判を下す必要があります。
<主権回復の日/沖縄の痛みを受け止めて>
安倍晋三首相の国家観が強くにじみ出た記念日の設定であり、イベントの実施と言っていいだろう。
安倍政権は4月28日を「主権回復の日」とし、政府主催の記念式典を行うことを決めた。天皇、皇后両陛下も出席する。
1952年のサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が7年に及ぶ占領統治から独立を回復した「節目の日」である。
自民党が昨年の衆院選公約に掲げており、決定は当然の流れに映る。ただ、今年が節目ということでもなく、政権が優先的に取り組む課題かどうか、得心が行かない。
多くの国民も唐突さを感じているに違いないし、何より、沖縄が強い忌避の感情を示しているからだ。
政権が独立を祝うこの日は、沖縄、奄美、小笠原が米政権下に組み入れられた日でもあり、多くの沖縄県民は「国から切り離された『屈辱の日』」と受け止めている。
日本が主権を回復してもなお、沖縄の差別された状況は72年5月15日の本土復帰まで続いた。祝う気分になれようはずもない。仲井真弘多知事は式典への出席を見送る。
地元紙の調査で、県内41市町村長の8割が式典に反対し、賛成はいなかった。
差別は今も解消されていない。小さな県に在日米軍基地の74%が集中。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設計画、オスプレイの強制配備に反対する地元の意向は無視され、「沖縄の主権」は奪われたままだ。
辺野古移設が暗礁に乗り上げる中、神経を逆なですることを承知で押し切った首相の対応に、多くの県民は今後も郷土を差別し、犠牲を強い続ける「意思表示」と怒る。
「国の未来を切り開いていく覚悟を新たにすることが重要」(安倍首相)との認識に違和感はない。ただ、政権が沖縄への配慮を置き去りに、強引に推し進める手法ははなはだ疑問だ。
憲法改正に向けた環境整備の一環とみる向きがある。「主権回復」に絡める形で、現憲法を被占領下での「押し付けられた憲法」との認識を広め、改憲機運を高めようというわけだ。
保守の支持層を意識した「安倍カラー」の一手とも解釈される。もっとも、地方は中央の決定に従うものとする「地方軽視」の統治観の表れと受け止められれば、共感を得られるはずはなく、改憲機運の盛り上げにもマイナスに作用するだろう。
沖縄に理解してもらえるよう方策を尽くすべきで、場合によっては主権回復の日を沖縄返還が実現した「5月15日」にしたっていいではないか。もっとも、北方領土の状況も視野に置いておかなければいけない。
最低限、「主権回復の日」を「沖縄の痛みを共有する日」と位置付けるぐらいの配慮を求めたい。
中央と地方の関係をあらためて問い直し、国のありようを見つめ直す契機にしなければ、記念日を定めた意義は乏しい。