<信濃毎日社説>改憲の動き 投票の物差しにしたい
「再び戦争をしてはならない」
それが俺のただひとつ唱える念仏だ―。
衆院選が公示される直前に亡くなった俳優の菅原文太さんが残した言葉である。
自衛隊の海外での武力行使に道を開く集団的自衛権の行使容認。これに反対するため今年3月、学者や作家らが市民団体「戦争をさせない1000人委員会」を設立した。菅原さんはその呼び掛け人を引き受けた際、事務局に送ったはがきに書き添えた。
<菅原文太さんの「遺言」>
父親を戦争に取られ、自由に話すこともできなかった戦時下の社会を知っている。憲法改定や軍事重視の政策を進める政治の動きが心配だったのだろう。がんを抱えながらも、あちこちで熱心に反戦を訴え続けた。
「9条があるから戦後70年、ほぼ平和にきたんだ」。昨年、こんな発言もしている。
安倍晋三政権が7月に憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認を決めた後も1000人委員会の賛同者は増えている。「九条の会」など市民の動きも活発になってきた。菅原さんの思いが浸透しつつあるように思える。
安倍首相は憲法改正を悲願とし、過去の国政選挙で争点に位置付けたこともある。今回の総選挙では改憲について国民に正面から訴えてはいない。自民党の公約も同様だ。2年前の総選挙では国防軍の保持など、党が決定した改憲草案を明記していた。今回は「国民の理解を得つつ憲法改正原案を国会に提出し…憲法改正を目指します」との簡単な表現にとどめた。波風が立ち、選挙に影響するのを避けようとの思惑が透ける。
<着々進む土俵づくり>
改憲手続きを定めた憲法96条は、衆参両院とも3分の2以上の賛成で発議した上で、国民投票で過半数の賛成が必要とする。首相は改憲のハードルが高すぎると考え、第2次政権発足後、96条の先行改定を目指した。が、与野党や世論の反発を受けて慎重姿勢に転じた経緯がある。
一方で、改憲の土俵づくりを着々と進める。4年後に投票年齢を18歳以上に引き下げることなどを定めた改正国民投票法を成立させた。国会が発議すれば国民投票ができる環境をほぼ整えた。
首相が改憲の本丸と考えているとみられる9条をいきなり変えようとしたら、強い拒否反応が起きるのは間違いない。改憲に対する抵抗感を和らげるため、多くの党の賛同を得やすい部分から手を付けるのではないか。
例えば、大規模災害や外国からの攻撃が発生した場合、首相に強力な権限を与える「緊急事態条項」の創設だ。国民の行動や権利が政府によって制限される。自民と連立を組む公明党は新たな理念・条文を憲法に加える「加憲」を公約に掲げる。環境権などを新たな人権に位置付けるべきだとし、幹部からは緊急事態条項に理解を示す発言もあった。
野党はどうか。明確に現在の憲法を守るとしているのは共産、社民両党のみだ。
野党第1党の民主党は、憲法解釈の勝手な変更や改憲手続きの緩和には反対するものの、国民との対話を進め「未来志向の憲法を構想する」とする。維新の党は、道州制、首相公選制、国会一院制などを目指し、改憲論議を喚起すると訴える。
次世代の党は、国防軍新設など自主憲法の制定を掲げる。
自民党幹部は早ければ2年後には改憲案を発議する考えを示している。経済政策を最大争点に据えた今回の選挙に勝てば、改憲までも信任されたとして、そう遠くない時期に政治のテーブルに乗せてくることが考えられる。
どんな国を目指すのか、国民にどんな影響が出るのか、改憲を目指す政党は本来ならこの選挙で丁寧に説明する責任がある。それをせずに改憲への歩みを進めていくことは認められない。
あらためて確認したい。憲法を支える柱は立憲主義である。国家権力を制限し、勝手なことをしないよう手足を縛っている。基本的人権をはじめ、国民を守る最大のとりでと言っていい。
さらに、9条に象徴される平和主義は「平和国家」であることを国際社会に示してきた。戦後70年近く自衛隊員が戦闘で犠牲になったり、他国民の血を流したりすることはなかった。憲法の重しがあればこそである。
<重みをかみしめる>
国民の責任や義務を強めた自民の改憲草案に見るように、首相が目指す改憲は立憲主義の精神とは逆に向かう懸念が拭えない。それを後押しする野党もある。
政治が語らないなら、有権者が問わねばならない。目先の景気対策ばかりに目を向けていては、後悔することになりかねない。憲法も投票の物差しとしたい。