今から4年半前の社説です。福島第一原発事故が起きてから4年半が経過し、何が分かり、どうなったのでしょうか。
分かったことは、すべての原発が停止しても電力は足りたこと。第二に、原子力発電所は安全で、安心な設備というのは全くのまやかしで、御用学者の言い分は、ほとんど嘘とでたらめであったこと。第三に、原子力技術は不完全で、ひとたび事故を起こせば、人間が容易に修復できるような災害ではないといこと。その結果、いまだに福島県周辺での汚染地域避難者は10万人近い人々が避難していること。第四に、政府も、御用学者も、東京電力経営陣、原子力産業も刑事責任を問われず、自分が責任を取ると申し出る立派な人物などいなかったこと。笑ってしまうような茶番劇と安倍、自民党政権、原子力資金で甘い汁を吸った自治体の長、電力会社の経営者たちです。第五に、安倍、山口自公政権は、それでも安全だと称して再び川内原発、高浜原発を再稼働しました。本当に、無知蒙昧だけでなく、私利私欲で動くよくボケの原子力村集団たちであること。
<東京新聞社説>原発に頼らない国へ(2011年8月の社説)
広島、長崎の原爆忌が巡ってきます。毎年訪れる日ですが、今年は特別です。三月に福島原発事故が起きたからです。私たちは、日本は原発のない国に向かうべきだと考えます。
原発には賛否さまざまな議論があります。脱原発への一番の反論は、電力が足りなくなったらどうするのか、ということです。しかし、それには人の命と安全は経済性に優先すると答えたい。人間を大切にするというのが私たちの従来の主張だからです。核の制御の難しさはもちろん、日本が四枚のプレート上にある世界有数の地震国であることも大きな理由です。
原発の安全、安価、クリーンの神話は崩れ去りました。私たちは電力の自由化、自然エネルギー庁の新設、徹底した情報公開を提言します。
原発のない国へ、という挑戦はもちろん容易ではありません。日本は現在エネルギーの大半を海外に頼っています。経済活動に支障は出るでしょうし、弱い立場の人を苦しめることも許されません。実現には年月も努力も必要です。しかし、指針を掲げねば前へとは進めません。
放射能被害は、被爆国の国民として、また福島の惨状を知った同胞として、深刻かつ重大に受け止めねばなりません。よく考え、議論し、行動しようではありませんか。一人の理想は小さくとも、合わせれば世界の理念にもなるでしょう。
戦後日本の経済成長は世界を驚かせました。大いに誇るべきです。だが原子力については平和利用の名の下、その恐るべき危険性を見過ごし、原発の立地は多くを地方に押しつけてきました。率直に反省すべきことです。
歴史を学ぶのは未来を考えようと思うからです。原子力の過去を知るほど、今が私たちの変わらねばならない時と考えます。それは欧米では再生エネルギーの活用という形で始まっているのです。
世界では、原発は中国やインド、中東などで増えそうです。各国の事情はあります。しかし核はますます拡散し、巨大事故や核テロの危険性も増えると懸念します。日本は持ち前の技術と結束力で、原発がなくとも豊かな社会が築けるというモデルを世界に示すべきです。それは日本の歴史的役割でもあるのです。