“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

東日本大震災 早く「日常」取り戻したい

2016年03月13日 10時00分53秒 | 臼蔵の呟き

 まず、生活できる環境、社会的な整備が必要です。商店があり、公共設備が整う、学校、医療、交通機関などが復旧し、利用できる環境を整える。そのうえで、第二に、就労できる環境を作り出す。これこそ、行政と政府の仕事です。第三に、必要なことは被災地に住みたい、ここで生活したいという環境を整える。その支援が、行政、企業などに求められるのだと思います。この課題は、住みつづける人が感じ、前向きに生きることが必要です。こうやれば可能といえるようなマニュアルはありません。地域の状況を見ながら条件に応じた対応を繰り返し、繰り返し行うことがどうしても必要です。時間も手間も必要ですが地域を再生するうえではどうしても必要です。

<北海道新聞社説>東日本大震災から5年 早く「日常」取り戻したい

 3410人。この5年間で息を引き取った震災関連死者の数だ。

 長期化する避難生活。それに伴う、先行きが見えない不安や生きがいを失った絶望感。ストレスや疲労で持病が悪化し、亡くなった人が多いという。被災地では高台造成や防潮堤建設が進む。仮設住宅から災害公営住宅への転居も始まった。その一方で、昔ながらの地域社会が壊れ、つながりを失った高齢者の孤独死も目立っている。

 政府は2020年度をめどに、岩手、宮城両県の復興を終える方針だ。だが、心の復興に終わりはない。息の長い支援を続けたい。

■居場所つくる試みを

 仙台平野の中心部、宮城県岩沼市玉浦地区。木造平屋の古民家風一軒家に、週末は元気な「お母ちゃん」たちの声が飛び交う。

 「家を失った人たちが集い、安らぐことのできる居場所づくりを」。東京在住の著名な建築家伊東豊雄さんらが提唱し、多くの個人や企業の寄付で東北各地に建てられた「みんなの家」だ。

 玉浦地区は農業が盛んだったが、津波による塩害で、田畑は壊滅的な被害を受けた。

 野菜作りが日々の楽しみだった地元のお母ちゃんたちは震災後、家に引きこもるばかり。それを救ったのが3年前に完成した「みんなの家」だった。

 今は東京のIT会社インフォコムが管理・運営を一手に引き受け、平日の昼間はカフェ、そして毎週土曜日は野菜直売所などとして使われる。

 並ぶのはもちろん、お母ちゃんたちが畑を耕し、育てた野菜だ。

 「家にいても独りぼっち。みんなでわいわいおしゃべりできるのは楽しいのよ。ここができてから、畑仕事も始まったし…」。60代の女性はそう声を弾ませた。

 復興といえばインフラ整備に目が行きがちである。しかし、それだけでは「復旧」にすぎない。たとえ街並みが元通りになっても、そこに暮らす人の息遣いや結びつきが失われては、真の復興とは呼べまい。玉浦地区の場合、その心のよりどころが「みんなの家」といっていい。

 「みんなの家」がコミュニティーの復興なら、宮城県気仙沼市のニット製造・販売「気仙沼ニッティング」は、生きがいづくりの復興とみたい。

 気仙沼は東北有数の漁港。昔から漁師が真冬の海上で着込むセーター作りが盛んだった。

 それに目を付けたコピーライター糸井重里さんの提案で、東京出身の御手洗瑞子さんが震災の翌年に会社を興した。

 仮設でもできる「復興支援」と銘打って4人で始めた。懸命に編み針を動かすことが被災者の心を癒やしてくれるようになり、今では編み手は60人に増えた。

 「漁師町のセーター」と報道でも紹介され、全国から注文が相次ぐ。1着15万円。手作りで値は張るものの、品質の高さから、納品まで2年待ちの人気ぶりだ。

 「気仙沼にお客が直接買いに来てくれる。お客さんが喜ぶからさらに質が上がる」。御手洗さんの言葉に自信がうかがえる。こうした試みをさらに広げたい。

■「絆」がやはり大事だ

 厚生労働省の調査では、いまも宮城県の被災者の4割が心理的苦痛やストレスを感じているという。年々減少傾向にあるが、依然として全国平均より高い。

 巨大な防潮堤や高台への住宅移転だけでは、被災者の心の傷を癒やすことはできない。

 環境が整っても、生き生きとした人々の営みがよみがえるとは限らない。巨額の復興予算をインフラ整備に充てるのはもちろん、いまこそ被災者の「心の健康」に目を向けたい。

 大事なのは人と人とのつながりだろう。使い古された言葉であっても「絆」が大切だ。


電力9社の原発の維持管理 約1兆4千億円。

2016年03月13日 08時44分12秒 | 臼蔵の呟き

「国民が求めているのは福島と同様の事故を二度と起こさないことだ。事故の防止対策では、考えられる最大限の自然災害を想定しなければならない。さらに万が一、想定外の事態が起きたとしても、事故につながらない対策が必要だ。」

対応できない原発は運転するべきではない。原発が一基も動かないのにかかった費用が、約1兆4千億円で、その経費は全て利用者である企業と国民の使用する家庭用電力料金に上乗せされてきました。こんなことが許されてよいはずはありません。しかも、現時点でも日本国民の過半数は原発の稼働、発電を止めるべきであると考えています。

安倍、山口自公政権、電力会社、原子力産業の持ちつもたれつの関係、利益優先の政策を止めなければなりません。

<信濃毎日社説>原発政策 教訓が生かされていない

 廃虚のような4棟の原子炉建屋を取り囲むように、約1500本の凍結管が地中に埋め込まれた。

 東京電力福島第1原発。周囲から建屋に流れ込む地下水は、放射性物質に触れて汚染水に姿を変える。これまでくみ上げた汚染水は約80万トン。凍結管は地盤を凍らせ、流入を遮断するために設けた。汚染水対策の切り札として、国が350億円を投じた。

 事故から5年。これまでの廃炉作業は汚染水との闘いだった。溶融燃料の取り出しに向けた作業はまだ建屋内の調査段階だ。完了まで30〜40年。気の遠くなるような作業が続く

<「脱・脱原発」の流れ>

 福島県内外では10万人近い人々が避難生活を送っている。故郷に帰りたくても、かなわない人もいるだろう。

 事故は、暴走した原発が国土と後世に多大な影響を与えることを示した。脱原発は現在も世論の多くを占めている。それなのにこの1年間で4基の原発が再稼働された。「脱・脱原発」の流れを止めなければならない。

 再稼働に走る政府と電力会社は目先の利益を優先している。

 電力会社が原子力規制委員会に再稼働に向けた審査を申請したのは26基に上る。電力会社からは「原発は競争力の源泉」(北陸電力)など、再稼働で経営改善を図りたい本音が漏れる

 約1兆4千億円。原発が1基も稼働していなかった2014年度に電力9社が原発の維持管理にかけた経費だ。原発は動かなければ金食い虫にすぎない。

 これまでは経費を消費者に請求できる総括原価方式をとってきた。4月からは電力小売り全面自由化が始まり、価格を競い合う時代になる。総括原価方式も廃止される。動かない原発を抱える余裕はない。廃炉にも経費がかかる。電力会社が再稼働を急ぐ理由だ。

 安倍政権は昨年決めた30年の電源構成比率で、原発を20〜22%に設定した。法定寿命の40年を超えて運転する原発がなければ実現できない。14年4月に閣議決定したエネルギー基本計画で示した「原発依存度を可能な限り低減する」という方針を、電気料金値上げを嫌う産業界の要請に応え、簡単に転換したといえる。

 効率や利益を重要視し、最も大切な安全性の確保がおろそかになっていないか―。国民の不安はそこにある。

 大津地裁は9日、規制委の新規制基準に適合して再稼働した関西電力高浜原発3、4号機について、運転を差し止める仮処分を決定した。「過酷事故対策や緊急時の対応方法に危惧すべき点がある」という判断だった。

 国民が求めているのは福島と同様の事故を二度と起こさないことだ。事故の防止対策では、考えられる最大限の自然災害を想定しなければならない。さらに万が一、想定外の事態が起きたとしても、事故につながらない対策が必要だ。対応できない原発は運転するべきではない。

<安全意識への疑問>

 国や電力会社は、福島の教訓を生かしているとは思えない。

 規制委の田中俊一委員長は「新規制基準の審査に合格しても十分ではない」と繰り返す。一方の政府は基準に適合すれば安全とみなして、今後も再稼働を続ける方針だ。安全性に対する責任の所在は不明確なままだ。

 九州電力は、川内原発(鹿児島県)の審査適合の前提だった免震重要棟の建設を撤回する方針を明らかにした。福島事故では免震重要棟に被害がなく現地本部が置かれた。東電社長だった清水正孝氏は国会事故調査委員会で「あれ(免震重要棟)がなかったら、と思うとぞっとする」と語っている。

 九電は規制委の批判を受け再検討する意向を示したものの、撤回方針は取り下げていない。川内原発は今も免震重要棟がないまま運転が続いている。

 志賀原発1号機(石川県)では、原子炉建屋直下の断層に活動性があると、規制委の調査団が判断した。規制委が追認すれば再稼働はできない。北陸電力は反発し、反論していく構えだ。

 事故時の住民の避難計画が機能するのか検証も足りない。再稼働で増える使用済み核燃料の処理問題も解決されていない。山積する課題の多くは放置されたままだ。

<長期の行動計画を>

 福島事故を受け脱原発にかじを切ったドイツは、22年末までに全原発を停止し、代替として再生可能エネルギーを普及させる長期計画を進めている。

 メルケル首相は11年6月の施政方針演説で福島の事故を取り上げ、「日本のようなハイテク国家であってさえ、原子力エネルギーのリスクを確実に制することはできないと認識した」と述べ、脱原発の必要性を強調した。

 日本は事故をどう受け止めたのか。福島を見つめ直して脱原発に向けた長期計画をとりまとめ、新たなスタートを切りたい。