“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

子どもの貧困 雇用の構造改善が急務

2016年03月26日 12時30分44秒 | 臼蔵の呟き

「困窮世帯の子や孫にも貧困が継続されていくという傾向はかねて指摘されていた。」「その上で困窮世帯に対して即効性のある支援策を重層的に打ち出す必要がある。調査からは、貧困が学びの機会の喪失にもつながっている厳しい現実も明らかになった。生活保護などの支援策と併せて、無料塾や給付型奨学金など児童や生徒への学習支援策を今こそ大胆に拡充すべきだ。」

 地域による若干の差があるとしても、このような実態は、日本全体でいたるところで現実的な問題なのだと思います。安倍、山口自公政権が強要する自己責任論――その結果が、とめどない格差の拡大と貧困です。一度、貧困層に身を置けば、そこから抜け出すことはほとんど不可能であることを示しています。教育の機会均等も貧困層にとっては念仏のようなものです。日常生活に必要な収入、所得を確保するために二重三重の就労を行う家庭、労働者がたくさん存在しています。その低所得者は、過重労働で疲労と病気に見舞われても、そこから抜け出すすべがありません。

 貧困の連鎖は、親→こどもへとそのまま受け継がれ、そこから抜け出せません。こどもが貧困から抜け出すためには必要な義務、高等教育を受け、正規労働、良好な雇用条件を受ける条件が最低限度必要です。まさに、政治が果たす課題です。

<琉球新報社説>子どもの貧困 雇用の構造改善が急務だ

 子どもの貧困が世代を超えて続く沖縄の深刻な実態があらためて浮き彫りとなった。私たちはこの負の連鎖を何としても断ち切らなければならない。

 県が小中学生と保護者らを対象に実施した「沖縄子どもの調査」で、15歳の時に生活が「大変苦しかった」と答えた保護者のうち、現在でも困窮経験があると答えた人が4割以上に上った。ショッキングな数字だ。
 中学2年の保護者で見ると、15歳時に生活が大変苦しかった人のうち、過去1年間に経済的な理由で食料を買えない経験があったという回答は実に47・2%、同じく衣料を買えなかったのは64・1%にも上っている

 県が1月に発表した沖縄の子どもの貧困率は29・9%だ。全国平均の16・3%(2012年)に比べて極めて深刻な状況にある中、困窮世帯の子や孫にも貧困が継続されていくという傾向はかねて指摘されていた。
 その実態が具体的なデータで示された。根深いこの問題の解決に向けた一歩としなければならない。詳細調査を継続して実態解明を進めると同時に、貧困解消に向けたあらゆる施策を複合的に展開していくことが求められる
 調査では父親の年間収入が300万円未満の層では8割強の母親が就労していた。沖縄の母親たちの就労率の高さが明らかになる一方で、母親の収入がその世帯の貧困の緩和には十分寄与していない実態も浮かび上がっている。
 県民所得が全国最下位の水準にある中、夫婦で共働きをしても多くの世帯は貧困から抜け出せていないという深刻な状況がうかがえる。沖縄は非正規雇用率も44.5%(総務省12年調査)と全国で最も高い。
 低賃金や重労働、就労安定化など、沖縄の雇用をめぐる構造的な問題の解決に向けた取り組みを官民挙げて強力に推し進めていくことこそが、子どもの貧困問題の抜本的な解決には不可欠である。この機会にそれを明確にしておきたい。

 その上で困窮世帯に対して即効性のある支援策を重層的に打ち出す必要がある。調査からは、貧困が学びの機会の喪失にもつながっている厳しい現実も明らかになった。生活保護などの支援策と併せて、無料塾や給付型奨学金など児童や生徒への学習支援策を今こそ大胆に拡充すべきだ。


「巫女さんのくせに何だ」自民・大西発言

2016年03月26日 11時42分05秒 | 臼蔵の呟き

どこまでも威圧的で、自分たちは選ばれた人間だとの傲慢な態度にはびっくりします。安倍、山口自公政権の国民無視、傲慢な姿勢は自民党議員の隅々まで徹底し、体質化されているのだと感じます。彼らには思想信条、政党支持の自由とは何かが全く理解できないようです。その彼らが自由と民主主義―――を説くのですからびっくりです。

この人物が衆議院北海道5区の補欠選挙支援に入ったとのことですから、驚きと末期的な自民党議員の品性です。

<北海道新聞>「巫女さんのくせに何だ」自民・大西発言また物議 自民党幹事長らが批判

 自民党の谷垣禎一幹事長は25日の記者会見で、同党の大西英男衆院議員(東京16区)が「巫女(みこ)さんのくせになんだ」と女性蔑視とも受け取られかねない発言をしたことに関し「意味不明であり、誠に不適切な発言だ」と批判した。

 同時に「われわれは公人で、私人として言いたいことを言っていれば済む立場ではない。発言がどう世間に受け止められるか配慮しなければならない」と強調した。

 二階俊博総務会長は会見で「国会議員は発言、行動を自ら戒めるべきだ」と指摘。小此木八郎国対委員長代理も会見で「はばかり、恥じらいといった気持ちをまず人間として持つことが必要だ」と苦言を呈した。

<東京新聞>支持断られ「巫女さんのくせに何だ」自民・大西発言また物議

 自民党の大西英男衆院議員(東京16区)は24日、所属する細田派の会合で、4月に投開票される衆院北海道5区補選に関し、神社の巫女(みこ)に自民党公認候補の支持を依頼し、断られた出来事を紹介し「『おい、巫女さんのくせに何だ』と思った」と述べた。

 大西氏は、補選の応援に北海道を訪れた際、神社で巫女に対し自民党候補の名前を挙げ「頼むよ」と依頼したところ、「自民党はあまり好きじゃない」と断られたという。「巫女さんを誘って札幌で夜、説得しようと思った」とも語った。

 大西氏の発言後、派閥会長の細田博之氏は「言動には十分注意いただきたい」と苦言を呈した。

 大西氏は昨年6月、安全保障関連法に批判的な報道機関に対し「懲らしめないといけない」と圧力を加える発言をし、党から厳重注意処分を受けた。 (大杉はるか)


アフガン派遣の元ドイツ軍兵士

2016年03月26日 10時08分50秒 | 臼蔵の呟き

武器をもって、戦闘行為を行う。そのことの悲惨さ、深刻さがこの報告から読み取ることができます。 

好戦的な政治指導者、アメリカ、フランス、イギリスなどがイラク政権転覆、シリア内戦への対応で空爆、他の軍事行動を常套手段として用いています。しかし、派兵される軍人は、常に前線で死の恐怖と戦い、相手国の兵士、民間人への猜疑心などに挟まれながら戦闘行為を行わなければなりません。帰国後も精神的疾患で正常な精神状態を保つことができず、苦しんでいます。人間としての当然の感情です。このようなことを止めなければなりません。

他国の政治対立、紛争に外国が軍事行動で干渉することはやめなければなりません。自国内での話し合いでしか、政治的な対立は解決することがないことはこの間の歴史が証明しています。

<東京新聞>アフガン派遣の元ドイツ軍兵士 砕かれた正義感、心病む

 二十九日施行の安全保障関連法は、適用対象が日本国内に限定されないことから、自衛隊が海外で他国の戦闘に巻き込まれる事態も想定される。戦場に行くとはどういうことなのか。外国の生の声を聞きながら考えたい。一人目は、ドイツ軍の一員としてアフガニスタンに派遣された元歩兵、ヨハネス・クレアさん(30)。想像を超える戦争の現実に打ちのめされた経験を語った。

 アフガニスタンに行ったのは二〇一〇年六月から七カ月間。現地で治安維持を支援する国際治安支援部隊(ISAF)の活動だ。

 現在は除隊し、戦場体験を講演しながら、週に一度精神科に通っている。平穏な日常の中で、花火の破裂音などを聞くと突然戦場の光景がよみがえる。自分がこれほど恐怖心にさいなまれるとは想像していなかった。

 ドイツでは第二次世界大戦の苦い経験から、兵士の仕事を批判的にみる人が多い。でも、僕は子どものころから兵士になりたかった。小学五年のとき、通知表に「君は正義感が強い」と書かれたこともある。

 十六歳だった〇二年、ドイツ軍が初めてアフガンに派遣された。現地で何が起きているのかを、自分の目で確かめたいと思った。

 高校を出て軍隊に入り、エリート集団のパラシュート部隊に配属された。アフガンが一番厳しい現場と聞いて、派遣を志願した。「僕が助けに行く。派遣期間に治安を回復して、帰って来る。大丈夫だ」と理想的なイメージだけしかなく、自分が被害を受けるなんて考えもしなかった。

 現地で最初の二カ月はやる気を維持していた。銃撃戦が始まるとアドレナリンが出て、何時間も精神が高揚することを体験した。

 しかし、ある日を境に状況が一変した。八月の夜、十人ほどで地雷除去に向かったとき、待ち伏せしていた敵に囲まれ、十メートルほどの至近から銃撃を浴びた。小さい村の中の真っ暗なところ。初めて恐怖を感じ、その日から、戦いのたびに恐怖が強くなっていった。

 夜間は敵が攻撃してこないと思い込んでいた。われわれのように暗視カメラや赤外線カメラを持っていないからだ。しかし、彼らは民間の偵察員を使ってわれわれの行動を監視し、見つけると連絡し合って村の兵士をかき集めていた。

 われわれが一人も傷を負わなかったのは奇跡だと後で隊長に言われた。しかし、心には傷が残った。以後、僕は正常に任務を果たせなくなった。

 もうひとつの悩みは、現地住民の誰が敵で、誰が味方か分からないことだった。さまざまな部族や組織が入り乱れ、対立や同盟を繰り返している。いつどこで誰が敵になるか分からないから、いつも気を張っていなければならなかった。

 こうした現実を、僕も、ドイツ国民も全く分かっていなかった。政治家は派兵を大した問題ではないように見せようとしていた。アフガンを「戦場」と認識したのは、最初の派兵から七年ほどたってから。何人もの兵士を亡くし、やっと気付いたんだと思う。

<ドイツ軍の歩み> 敗戦に伴う軍解体から10年後の55年、旧西ドイツが再軍備を開始。北大西洋条約機構(NATO)域外への派兵は違憲とされてきたが、94年、独連邦憲法裁判所は軍のNATO域外派遣を合憲と判断した。以後、アフガニスタン国際治安支援部隊などに参加。3月14日現在、14カ国・地域に女性254人を含む3249人を派遣。域外派遣兵士の死亡者は106人。