萩原葉子さんが死んだ。昨日のテレビニュースで知った。新聞には「1日午前3時39分、播種性血管内凝固症候群のため、
東京都世田谷区の病院で死去した。84歳。前橋市出身。葬儀は親族だけで行う。喪主は長男で多摩美大教授の朔美氏」と
書いてあった。
葉子さんは84歳にもなっていたのかと驚いた。40年前、葉子さんがまだ40代の頃だったが、何度か自宅マンションに
お伺いしたことがある。日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『父・萩原朔太郎』に続き、『天上の花―三好達治抄』で
田村俊子賞、新潮社文学賞を受賞した直後の頃だった。
葉子さんは、はにかみ屋でどこか控え目なところがあり、年齢を感じさせない女性だった。随筆集の中に「タバコの煙ととも
に男たちの中にいたい」「娼婦のように黒いストッキングを履きたい」という表現があるが、一体、彼女のどこからそのよう
な強烈な言葉が出て来るのか不思議に思った。
葉子さんと飲みに行った時、「葉子という名前は朔太郎が付けたんでしょうね」と聞いてみた。
「朔太郎は葉子さんに個性を大切にするよう期待を込めて葉子という名前を付けのでしょう。葉っぱは、一見、みな同じよう
に見えるが、よく見ると1枚1枚、色や形が違う。それぞれに個性がある。人間も同じだということを言いたかったのでは
ないでしょうか」と聞いてみた。
葉子さんは黙っていた。確かに『蕁麻の家』『閉ざされた庭』など、一連の自伝的小説からはそのような父親像は浮かんで
こない。朔太郎は父親失格だった。葉子さんは30代で離婚したが、1人息子の朔美さんを立派に育てあげた。
8歳の時に自分を捨てた実母を探し出し、その娘も一緒に介護した。
父・朔太郎に欠けていたものを一つひとつ補っていつたのが葉子さんだったのだ。
東京都世田谷区の病院で死去した。84歳。前橋市出身。葬儀は親族だけで行う。喪主は長男で多摩美大教授の朔美氏」と
書いてあった。
葉子さんは84歳にもなっていたのかと驚いた。40年前、葉子さんがまだ40代の頃だったが、何度か自宅マンションに
お伺いしたことがある。日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『父・萩原朔太郎』に続き、『天上の花―三好達治抄』で
田村俊子賞、新潮社文学賞を受賞した直後の頃だった。
葉子さんは、はにかみ屋でどこか控え目なところがあり、年齢を感じさせない女性だった。随筆集の中に「タバコの煙ととも
に男たちの中にいたい」「娼婦のように黒いストッキングを履きたい」という表現があるが、一体、彼女のどこからそのよう
な強烈な言葉が出て来るのか不思議に思った。
葉子さんと飲みに行った時、「葉子という名前は朔太郎が付けたんでしょうね」と聞いてみた。
「朔太郎は葉子さんに個性を大切にするよう期待を込めて葉子という名前を付けのでしょう。葉っぱは、一見、みな同じよう
に見えるが、よく見ると1枚1枚、色や形が違う。それぞれに個性がある。人間も同じだということを言いたかったのでは
ないでしょうか」と聞いてみた。
葉子さんは黙っていた。確かに『蕁麻の家』『閉ざされた庭』など、一連の自伝的小説からはそのような父親像は浮かんで
こない。朔太郎は父親失格だった。葉子さんは30代で離婚したが、1人息子の朔美さんを立派に育てあげた。
8歳の時に自分を捨てた実母を探し出し、その娘も一緒に介護した。
父・朔太郎に欠けていたものを一つひとつ補っていつたのが葉子さんだったのだ。